むぅむぅの一周忌法要

2018年06月10日 15:25

むぅむぅの一周忌法要

「俺の葬式は教会でやってくれ」と言ったのは、むぅむぅ(義父)でした。
ですから、去年の葬儀は目白の聖公会の教会で行いました。

ところが、
菩提寺で七七忌法要を行い、菩提寺の墓に納骨し、
きょうは、菩提寺で一周忌の法要を行ったのでした。

しかも、
遠戚にあたる菩提寺の宗旨は曹洞宗なのですが、
祖父・三角寛浄土真宗だったので我儘を云って、
墓石には「南無阿弥陀仏」と彫ってある墓なのです。

まぁ、
むぅむぅにとっては、宗旨はなんでもよかったのでしょう。


ところで、むぅむぅが亡くなってから、
この一年の間に、大切な人たちが何人も亡くなりました。

でも、
わたしたちには家族が増えました。それも同時に二人も。

きょう6月10日は、
16歳だった次男が渡米してから、17年目の日にあたります。

新しい家族

重い映画「万引き家族」

2018年06月09日 13:13

万引き家族

1954年「地獄門」(衣笠貞之助監督)
1980年「影武者」(黒澤明監督)
1983年「楢山節考」(今村昌平監督)
1997年「うなぎ」(今村昌平監督)

これは、
カンヌ国際映画祭における最高賞(パルム・ドール)を受賞した歴代の日本作品です。

映画を、歴代受賞作品や他の映画と比べるのは、ナンセンスなことだと思うのですが、
いま「万引き家族」がパルム・ドールを受賞したことについて、少し考えたいと思います。

したがって、きょうも「万引き家族」(是枝裕和監督)の話題です。


万引き家族」の、
想像力を掻き立てるカメラワークや演出力、そして俳優の演技力といった、
素晴らしさが評価されたのは、当然といえば当然のことだったでしょう。

しかし、ここでは、この映画のクオリティについてではなく、
日本の映画作家が「万引き家族」を撮らなければならなかった現実について、
考えてみたいと思うのです。

万引き家族」は、
日本人の美意識を追求したワケでもなく、死生観を描いたワケでもなく、
スペクタクル作品でもなく、ヒューマンドラマでも感動大作でもない・・・と、
わたしは思っています。

まず、この映画を創ることの原点となったであろう、
日本の現代社会が内包させている数々の問題や状況があります。

ちなみに、「万引き家族」の公開初日となった昨日6月8日は、
2001年に大阪の池田小学校で23人が無差別に殺傷される事件が起き、
2008年に秋葉原で17人が殺傷される通り魔事件が起きた日でもあります。

昭和の「高度経済成長」は、もはや歴史の話となり、
バブル崩壊」や「リーマンショック」などを経て、労働派遣法が緩和され、
格差社会となり貧困の再生産が起こるようになってしまいました。

テレビのコマーシャルで描かれる“家庭”など空々しいほどの貧困が、
この国の澱のように沈殿しています。

テレビのコマーシャルやドラマを観ても、その澱は見て見ぬフリをしている
わたしたちにとって、「万引き家族」はその澱を凝視させられる映画でした。

この国の政を司っている者たちは勿論のこと、
わたしたち大人全員がこの映画を観ること、描かれている現実を見ることが、
必要だと思いました。

昨日の公開初日、
パルム・ドール受賞」がキッカケで「万引き家族」を観に来たであろう観客たちは、
重いものを背負ったように映画館から出てゆくのでした。



「万引き家族」

2018年06月08日 17:58

「万引き家族」


公開初日を迎えた「万引き家族」を観てきました。


是枝裕和監督は、
養護施設で出逢ったある特定の“ひとりの女の子”に向けて映画を創ったと言っています。

悲しいことですが、映画を観たわたしたちは、
ある特定の“ひとりの女の子”を重ね合わせながら観ることになってしまいました。


もうパパとママにいわれなくてもしっかりとじぶんからきょうよりもっともっとあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします


子供は、親を選んで生まれることはできませんが、
次は、溢れる愛情と優しさを兼ね備えた両親と家族のもとに、
生まれ変われるように、祈りたいと思います。

もし、次もダメだったとしても、
溢れる愛情と優しさを兼ね備えた人たちといっしょに暮らせる処に、
生まれ変われるように、祈りたいと思います。

合掌




8歳になった貴女へ

2018年06月07日 22:19

    あの時、まだ名前はなかった

2010年6月7日、午前9時48分。身長50センチ、体重2,580グラム。
あの時、まだ名前はなかった。


いつも、いつも想っている。

貴女の幸せを、想っている。

8歳のお誕生日、おめでとう。


2018年梅雨入り

2018年06月06日 23:59

紫陽花

気象庁は、
きょう、近畿・東海・関東・甲信地方の梅雨入りを発表しました。

近畿は平年より1日早く、
東海と関東・甲信は、平年より2日早い梅雨入りだそうです。

いよいよ、各地で長雨の季節の到来です。


ということで、
気分を変えるための写真を載せました。

ロイヤルハワイアンホテル


ヨット


小さなサーファー


夕方


ダミアン神父と修道女マリアンヌ

2018年06月05日 18:12

ダミアン神父の左手
<ダミアン神父像の左手に手を添える>

カメハメハ5世政権による、
ハンセン病罹患者のカラウパパでの強制隔離が始まってから7年が経った1873年、
ベルギーからの伝道師・ダミアン神父が、モロカイ島カラワオに上陸しました。


18世紀の後半以降、
ハワイの先住民は西欧人との接触によって多くの伝染病に罹りましたが、
ハンセン病もそのひとつで、最初の患者が1840年に記録されています。

1865年1月ハワイ王国第5代国王・カメハメハ五世は、
ハンセン病罹患者の終生隔離法を制定し、モロカイ島カラウパパに移住させました。

当初は、「隔離」というより「棄民」のような状態で、
患者たちは、ほとんど手当を受けることもなく生活手段もない状態で放置され、
病気だけではなく飢えや孤独とも闘わなければならなかったのです。

聖ダミアン

さて、そんな患者たちを救済しようと、
ベルギー出身の宣教師・ダミアン神父ハンセン病患者たちの救済に生涯を捧げ、
自らもハンセン病に罹患して1889年に命を落としたのでした。

しかし、
カラカウア5世の招聘により日本の漢方医・後藤昌直がハワイに渡航し、
ダミアン神父の治療も行うと、神父の病状は一時的に快方に向かったといいます。

ダミアン神父後藤昌直医師を信頼し、
「私は欧米の医師を全く信用していない。後藤医師に治療して貰いたい」
そう言ったといいます。

しかし、
西欧医学が東洋医学に及ばないことを認めないアメリカと西洋医学者たちによって、
後藤昌直の漢方医学によるハンセン氏病治療が受け容れられることはなく、
ダミアン神父は亡くなったと謂われております。

聖マリアンヌ

そのダミアン神父を介護・看護し、ハンセン病患者のために生涯をささげたたのが、
1888年にカラウパパに着任した修道女マザー・マリアンヌでした。

ちなみに、
1888年というのは、わたしの母方の祖父が生まれた年で、明治21年のことです。

後に、
ローマカトリック教会は、ダミアン神父修道女マザー・マリアンヌを聖人としました。


ところで、
カラウパパに送られた人々の約90%はハワイの人々でしたが、
中国や日本、ポルトガル、フィリピンの出身者もいたのだそうです。

ちなみに、1924年の収容者485人の内、
ハワイ人366人、フィリピン人25人、日本人32人という記録があります。

ことしは、日本人のハワイ移住150周年という年にあたります。


カラウパパ

2018年06月04日 23:37

モロカイ島カラウパパ

きのうはモロカイ島の話題でしたが、きょうもモロカイ島の話題をもう一つ。


長くハワイに住んでいる日本人でも、
モロカイ島に行ったことがないという人は意外に多くいるものです。

そのモロカイ島の「カラウパパ」という場所をご存知でしょうか?


写真を撮ったのは、
眼下に目が醒めるような絶景が広がる「カラウパパ・ルックアウト」。
つまりカラウパパをルックアウト(展望)する場所から撮った写真ですが、
カラウパパはその美しい風景とは対照的な悲惨な歴史を辿った場所です。

カラウパパは、
モロカイ島の中央部北端に在る崖の麓に広がる舌の形をした半島です。

カラウパパの断崖の高低差は1,000mもあり、世界一なのだそうです。

つまり、
半島に“入る”には、この断崖のつづら折りの道を下りなければなりませんが、
半島から“出る”にも、この断崖を登らなければならなかったワケであります。
しかし、その出入口は厳重に管理された関所になっていたのです。

カラウパパは、
ハンセン病罹患者を強制移住させたハンセン病コロニーでした。


ハワイ王国第5代国王・カメハメハ五世が、
1865年1月にハンセン病罹患者の終生隔離法を制定しました。

そして、
1866年から1969年に終生隔離法が廃止されるまでの103年間、
約8,000人のハンセン病患者がカラウパパに送られて隔離されたのでした。

しかし、
当初は、「隔離」といえばまだ聞こえがよい「棄民」のような状態でした。

患者たちは、
ほとんど手当を受けることもなく、生活手段もない状態で放置されたのだそうです。
患者たちは、病気だけではなく飢えや孤独とも闘わなければならなかったのです。

さて、そんな患者たちを救済しようとした人たちの話題は、
長くなりますから、また明日にいたしましょう。


それにしても、
カラウパパの美しい景色と「砂の器」の冬の風景が重なるというのも意外です。




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