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二人の銀座

2021年01月27日 16:59

二人の銀座ザベンチャーズ

ザ・ベンチャーズと謂えば、テケテケテケテケのグリッサンド奏法ですが、
わたしが初めてテケテケを聴いたのは「二人の銀座」だったと思います。

当時、わたしは小学4~5年生でしたが、
小児ぜんそくを患っておりまして、養護施設に入っておりました。

寮も病院も学校も併設されておりましたが、
1年と数か月間、一度も家に帰ることなくその施設で暮らしました。

そのときに流行っていたのがザ・ベンチャーズのテケテケと、
和泉雅子さんと山内賢さんがデュエットした「二人の銀座」でありました。

わたしは箒やモップを持ったり、エアーでテケテケ言っておりましたが、
ザ・ベンチャーズというよりはドンキーカルテットに影響を受けていたと思います。

和泉雅子 山内賢

その「二人の銀座」は、
ザ・ベンチャーズが、日本の銀座をイメージし1966年7月に発売された楽曲だそうですが、
同年9月に、和泉雅子山内賢の2人がデュエット曲としてカバーして発売しヒットしました。
作詞は永六輔さんです。

🎵
待ちあわせて 歩く銀座
灯ともし頃 恋の銀座
僕と君が 映るウインド
肩を寄せて 指をからませ
二人の銀座・・・



ところで、
コロナ禍の緊急事態宣言下で、はしごしたり夜遅くまで飲んでいたという
与党議員二人の銀座はどんな銀座だったんでしょうねぇ?


「心の瞳」

2020年12月12日 17:37



12月10日のわたしの誕生日、
Facebookの機能を通じて、ホントに多くのお祝いメッセージを頂戴した。

久しぶりに、心が温かくなった。

みなさんに、逢いたくなった。
逢って、ゆっくり話したくなった。

「お互いに、大変だったね」と・・・。


そんなみなさんへのお返し。

太平洋戦争が始まった2日後の1941年12月10日に誕生した
坂本九さんが遺した「心の瞳」を贈りたい。





Artistspoken(アーティストスポークン)

2020年09月16日 15:43

アーティストスポークン

博報堂DYホールディングスが提供する配信サービスのご紹介です。
それは「Artistspoken(アーティストスポークン)」といいます。

各ジャンルのアーティストに特化して、月額制で音声を配信するサービスです。
現在はiPhoneApp Storeでのみ利用できます。

その「Artistspoken(アーティストスポークン)」のアーティストの一人に
市川弘太郎が選ばれて音声を配信しています。

「Artistspoken(アーティストスポークン)」は、
現在26ジャンル38名のアーティストが参画しています。

リスナーが1アーティストごとに月額300円(税込)支払うことで、
各アーティストからの音声を受け取ることができるアプリサービスです。

配信されるアーティストの音声は、
「日常のつぶやき」「制作の裏側」「社会性の強いテーマ」など多彩で、
台本がない、アーティストの本音が詰まった内容となっています。

リスナーは更新のたびに、
予定調和のないプレミアムな話を本人の声で聴取することができる他、
アーティストに訊いてみたいことなどを投げかけることができる「質問機能」などを使い、
インタラクティブ(双方向)のやりとりも可能です。

よろしかったらご登録をお願いします。
※現在は無料配信中!

今宵は、こんな企画もあります。↓
アーティストの頭の中を覗く会



リンゴの唄

2020年04月20日 14:58

リンゴ

最近では滅多に行くこともないが、むかしカラオケでの十八番は
兄弟船」、「与作」、「我が良き友よ」だったのだが、「リンゴの唄」もよく歌った。

それも前奏から。
生まれてきたのが10年遅かったんじゃないかと謂われる所以だ。


さて、
1945年(昭和20年)10月に公開された松竹大船撮影所製作、
佐々木康監督作品「そよかぜ」の主題歌が“リンゴの唄”だったと謂われている。

戦後初のヒット曲だったと謂われる歌で、
映画にも主演した並木路子の持ち歌になった。

この「リンゴの唄」は、
“戦後の復興を象徴する明るい歌”というイメージだろうと思うが、
元々は戦時中に連日の空襲に遭い恐怖におののいていた国民が、
なんとか挫けないようにと作られた戦意高揚の歌だったのだそうだ。

その歌の意味や価値は、
作られた動機ではなく、聴いた人たちの心のなかにあるという一つの例だろう。


いま起こっている事態が終息したら、世界中に多くの歌が流れることだろうと思う。



映画のまち“としま”

2020年02月01日 23:59

映画のまち“としま”

先週につづいて、豊島区立中央図書館主催の地域研究ゼミナール、
「映画のまち“としま”」ご招待いただきましたので、かみさんと参加させていただきました。

先週は、「豊島区と映画-黎明と興隆-」と題して、
映画そのものの歴史を踏まえ、豊島区内に映画館が数々誕生した過程を学びました。

きょうは、「映画-その滅びざるもの-」と題して、
空襲と敗戦で荒廃した戦後の池袋に誕生した、幾つかの映画館と現状を学びました。

当然のことながら、このゼミナールのチラシにも写真が使われているように、
祖父・三角寛が創めた人世坐や名画座と謳われた文芸坐のことが話題になりました。

それにしても、
豊島区内の「映画館の成り立ちから現在まで」という切り口は珍しいものでしょう。

映画に関しては、その作品や監督や俳優にスポットライトが当たることはあっても、
それらを上映している“映画館”が話題になることは、ほとんどありません。

映画館が“観客を集め上映して観せる”仕事は、
映画を“創る”最終過程であることを少しでも知っていただけたとしたら嬉しいです。





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