2022年07月04日 13:54

きょうは、俳優・佐野浅夫さんの訃報に接した。
生前の佐野浅夫さんのご功績については、多々語られることがあるだろうが、わたしは一つだけ書きたい。
佐野浅夫さんは、「移動演劇桜隊」で生き残られた最後のお一人だった。
広島に投下された原爆によって被ばくし亡くなられた「移動演劇桜隊」方たちのことは度々書いてきた。
その「桜隊」の前身は、薄田研二、徳川夢声、丸山定夫、藤原釜足によって結成された「苦楽座」だが、終戦を迎える1945年6月に「桜隊」と改称された。
佐野浅夫さんは、丸山定夫、蒲田研二に師事し1944年に「苦楽座」に入って後の「桜隊」の劇団員になった。
広島に投下された原爆によって、俳優の森下彰子・羽原京子・島木つや子、裏方の笠絅子・小室喜代の5名は即死した。座長の丸山定夫や園井恵子・高山象三・仲みどりの4名は辛くも即死を逃れたが、その後死亡する。
だが、幸いにというべきか辛くもというべきか被ばくの難を逃れた桜隊の人たちもいた。
利根はる恵、多々良純、八田元夫、池田生二、槙村浩吉、千石規子、薄田研二、徳川夢声、藤原釜足、久松保夫、川上夏代、永田靖、そして佐野浅夫である。この顔ぶれを見れば「桜隊(苦楽座)」の人々が戦後の映画界・演劇界に多大な功績を残された方々ばかりだ。それだけに被ばくされ亡くなられた方々の才能の損失が如何に大きかったかが判る。
余談だが、佐野浅夫さんのご親戚に里見浩太朗さんがいらっしゃる。佐野さんの又従弟にあたるのだそうだ。
佐野浅夫さんのご家族・ご親族の皆様にお悔やみを申し上げたい。
合掌
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