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清盛と水

2020年05月09日 15:50

むかし、かみさんの母が生きていた頃のことだ。

家族で京都を旅行したときに、
母が懇意にしていたタクシーを貸し切りにして京都観光をした。

そのタクシーの運転手さんが、
運転しながら名所を案内してくれたが、或る話が印象に残った。

運転手さんは遠くに見えた清水寺の方を指して、
「あそこはむかし、ぎょうさんの死人を捨てた山だったんですよ」と言った。


それで興味を持って少々調べてみたことがある。

たとえば平安時代、
「鳴くようぐいす平安京」だから平安時代は794年~1158年までの約390年間。

平安時代というと雅なイメージだが、京は度々疫病が流行する不衛生な都市だった。
そもそも上下水道は無かったから排泄物が街路に垂れ流され放置されていたらしい。

しかも、人口密度は高いのだから必然的に疫病が流行するワケだ。
天然痘や赤痢などいろいろな伝染病が流行して多くの死者が出たのだったが、
人々は加持祈祷をしたり陰陽師に悪霊退散を祈らせたりするしかなかった。

そんな京の街を支配していたのは朝廷と貴族たちだったが、
武士階級は身分が低く人が嫌がる所謂汚れ仕事を請け負っていのだった。

治安を守るのも戦をするのも、死体の処理や運搬や埋葬も武士たちの仕事だった。
だから当然、疫病に感染して亡くなる武士たちも多かった。

そんな武士たちの中から登場し武家の棟梁になったのが平清盛だ。
その平清盛たち武士が住むことを許されていたのが、清水寺に近い六波羅だった。

だから、清水寺は死体の廃棄場だったというワケだ。

疫病が歴史を動かした、これもひとつの例だろう。


やがて汚れ仕事をこなし、武家の棟梁として権力の頂点に上り詰めた平清盛は、
不衛生な京から福原(現在の神戸)に都を移そうと(遷都)する。

福原を都に選んだ理由は宋との貿易の要衝の地だったからだけではない。
福原(神戸)は六甲から湧き出る清潔な水の地だったからだ。

平清盛が住んでいた京の家も泉殿と呼ばれる泉の湧いている家だったという。

そして、
大原(神戸)、厳島神宮、瀬戸内の海、壇ノ浦と、平家には水のイメージがつきまとう。

綺麗な水は、衛生環境と健康を追い求めた清盛の夢の象徴だったのかもしれない。



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