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三の間

2020年01月12日 13:00

三の間

「雑司が谷 寛」に、三の間と呼ぶ部屋が在ります。

壁が赤く塗られた部屋ですが、
祖父・三角寛と父が手ずから漆を塗ったのだといいます。


さて、
「雑司が谷 寛」の前の道は、むかしは弦巻川という川でした。
その川の上に蓋をして暗渠にし、道路に変えたのです。

ですから、現在の門と玄関は後から造ったもので、
当初この家の玄関は、実はこの三の間だったのです。

玄関を移してから、祖父はこの部屋を造りました。

併せて、隣の部屋の床板をヒノキに替えました。
床下の地中には大きな甕を埋めたのだといいます。

格子柄の板戸を外せば、そこは舞台になるのでした。

三角寛にとって、目に入れても痛くない存在は、
三角寛の一人娘だった母と二人の孫娘たちでした。

孫娘を、いつも懐に抱いて可愛がったといいます。
世間からは怖がられていた三角寛の、それも一面であります。

母は、
日本舞踊林流の初代家元・林きむ子師に師事していました。
祖母が林きむ子師の娘である林一枝先生の踊りが好きで、
娘にも二人の孫娘たちにもお稽古をさせていました。

林きむ子師は、
柳原白蓮九条武子と並び称された大正三美人の一人です。

三角寛が、妻の趣向を受け容れて自宅を改装し、
舞台まで造って、妻と並んで娘や孫娘の踊る姿を愛でていたのでしょう。

ところで、
この舞台で林一枝先生も踊ったというのですが、
林きむ子師が踊ったかどうかは判ってはいません。

ただ、うちのかみさんは小学生のとき、
林きむ子師の臨終間際の枕元で名取り式をしてお免状を授かったのだそうです。


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