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樹理

2019年07月22日 23:59

35年前の1984年2月12日は雪が降る日だった。

その日は休みだった。
夕方、肉を焼いて食おうとしたら後輩の樹理から電話があった。

「Sが死んだみたいなんです」

焼いた肉をそのままにして、樹里とAと会って三人で通夜をやった。

翌日、樹理とAと、Sの姉のアパートで遺骨になったSと対面した。
その翌日、上野駅のホームで30名ほどの後輩たちとSを見送った。
その翌日、Sの通夜に参列するために秋田の小さな駅に到着した。
その夜から約半年間、Sが何故死んだのか調べまわることになった。

Sが死ぬ10日ほど前、
Sの彼女が夜遅くにSを探しに我が家を訪ねて来たことがある。

Sが死ぬ5日ほど前、
深夜に我が家に帰るとSが待っていて、朝方まで話したことがある。

Sが死ぬ前日、
わたしが帰宅すると、Sに長い間貸していた本が返してあった。


わたしが探偵のような行動をとったのは、或る“後悔”からだった。
Sが亡くなる5日前の深夜に訪ねて来たときに、彼の話を聴かず、
先入観から一方的に彼に説教をしてしまったことの後悔であった。

あの時にSの話を聴いていれば、
もしかしたらSが死ぬようなことはなかったかもしれない。

そう思えて仕方がなかった。

Sが死んでしまった後から彼の気持ちを探っている自分が許せなかった。


あの半年間、樹理とは何度も話し合った。
Sが樹理から依頼されていた樹理の母上である新屋英子さんの一人芝居、
身世打鈴(しんせたりょん)」をSの代わりに手伝ったりもした。
劇作家で演出家でもあ樹理の父上とも親しくさせていただいた。


いま思い出してみると、あの半年間の後には樹理との想い出がない。
あれほど、濃密な半年間を過ごしていたのに不思議だ。

お互いに、
逢うと辛いことを想い出すから、無意識に避けていたのかもしれない。
また、そのうちに逢うこともあるからと思っていたのかもしれない。

だけど、それがまた“後悔”になってしまった。

そのうちに逢えるからと思っても、逢えず仕舞いになってしまうことがある。


きょう、Aといっしょに樹理の家に行ってきた。
樹理を偲んで献花した。

いつか逢えると思っていたのに急病で急逝してしまった樹理。


ゴメンね樹理。こっちから、たまには逢いたいねって言えばよかった。

向こうでSに逢ったら、
日下(旧姓)があのときは話を聴かなくて御免って言っていたと伝えてください。
いつか向こうに逝ったら、ちゃんとSの話を聴くからと・・・。

樹理


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