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沖縄本土復帰運動

2019年02月05日 11:57

父の年表

2月3日は、一昨年亡くなった父の90歳の誕生日。
2月4日は、一昨年亡くなったむぅむぅ(義父)の91歳の誕生日。
2月5日は、弟の誕生日。
2月6日は、亡くなって19年目の母の命日。
2月7日は、恩師の七回忌のご命日。そして、友人の8回目の命日。
毎日が、命の日々です。


さて、
一昨年亡くなった父が記した生涯年表があります。

縦マスに年、
横マスは「社会の出来事」「個人の出来事」「家族の出来事」に分れています。
父が生まれた1929年(昭和4年)から、年表を記した年までが記入されています。

その年表の1962年(昭和37年)の「社会の出来事」欄を見ると、
「新卒者の就職率最高と記録」「貿易の自由化88%」などと記してあります。

「個人の出来事」は、「(1月~2月)約1ヵ月間沖縄に渡り本土復帰運動に加わる」、
また、「秋には初収穫(みかん)を祝う」とあります。

「家族の出来事」としては、「(2/5)次男誕生」と記されています。


1956年(昭和31年)12月のわたしが生まれた日に、
父は、日本健青会末次一郎さんから手紙を受け取っていました。

同志として日本健青会に参加し、沖縄本土復帰運動に手を貸してほしいという内容でした。

1962年(昭和37年)、弟が産まれようとしているときに父は末次さんと沖縄に居ました。
沖縄が日本に復帰したあとの農業振興について現地調査をしていたのです。

その時、5歳のわたしは徳島の父の実家に預けられておりました。
3歳の妹は、臨月を迎えている母と浜松の家に残っておりました。

その年両親は、
人生で初めての開墾をして4年経ち、秋には初収穫を迎えようとしていたのです。

収穫前なのですから、家にお金が潤沢に有ったとは思えないのですが、
子供が産まれるというのに返還前の沖縄に渡って復帰運動に尽力するというのも、
その年の2月3日に33歳になったばかりの青年だった父の若気の至りでしょうか?

それほどまでに、
一兵士だった父にとって当時の沖縄本土返還運動は、一大事だったのでしょう。

あのときに生まれた弟も、きょうで57歳になりました。


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