いまだから・・・

2018年03月25日 17:59

昨日催された恩師を偲ぶ会は、
基本的に“偲ぶ”ことをコンセプトにして進行されました。

したがって、
参加者相互が恩師との想い出やエピソードをシェアし合う歓談の時間を
十分にとろうという趣旨で行われました。

ですから、
会場のあちらこちらで、そんな話の交換が行われたことでしょう。

しかし、
わたしは生憎、事務局という立場で進行役との打ち合わせや、
ご来場者への挨拶などで走り回っていて、その機会がありませんでした。

そこで、
恩師とわたしのエピソードを一つだけ、此処に披露させていただきます。



22年ほど前のことです。

わたしが当時制作者として所属していた地人会の芝居を、
公共劇場(公文協)の自主事業として採用していただくために、
北陸地域を転々と営業したことがありました。

或る日、
入善町から魚津黒部滑川辺りを営業して富山駅で降りました。
その日は、富山市内に泊まろうと思ったからでした。

富山駅前のホテルを予約して、市内を散歩しようと歩いていると、
富山駅の前で、大きなトランクを二つ持った恩師と偶然再会しました。

恩師が、
富山市芸術文化ホール(オーバード・ホール)の初代芸術監督に就任し、
単身富山に移住されたことは知っていましたが、まさか此処で遇うとは、
思ってもみないことでした。

何故トランクをお持ちなのか訊くと、
確か、北欧諸国の劇場の視察旅行から帰ってきたところだとおっしゃいました。

そこで、その二つのトランクを持って、
当時恩師が住んでいらしたマンションまでお送りすることにいたしました。

マンションの恩師のお部屋は、
ゴミひとつ、チリひとつ、ホコリひとつも無い整理整頓されたお部屋でした。

部屋に招き入れてくださった恩師は、
くつろがれるよりも先に、わたしのためにお茶を淹れてくださったので、
むかし話に花を咲かせました。

恩師と長話をしている間に夜になってしまいました。

「寿司でも食おう」と促されるままに、近くの馴染みの寿司屋でご馳走になり、
「馴染みのバーがあるんだ」というのでハシゴして飲み、最後はホテルの前まで、
歩いて送ってくださったのでした。

翌日は、また転々と営業し、東京に戻ったのは数日後のことでしたが、
かみさんに、偶然先生と再会した話を聴かせました。

随分とご馳走になったし、恩師は毎朝キウイを召し上がっていると聞いたので、
かみさんに、キウイとなにか果物の盛り合わせを贈っておいてくれと頼みました。

それから、ひと月ほど経ってのことです。
恩師からお手紙が届きました。

たぶん贈ったフルーツの御礼のお手紙だろうと思って開封したところ、
「いま、病院のベットの上だ」と、綴られていました。


恩師とわたしが偶然遇った日の翌日は、
オーバード・ホールのオープニングセレモニーが行われた日でした。

セレモニーで、
芸術監督としてテープカットを行ってパーティー会場へ移動していたときに、
恩師は突然倒れ、意識不明のまま救急車で病院に運ばれ緊急手術を受け、
意識が戻ったときには、病院のベットの上だったというのでした。

その間に恩師のマンションに届いていた、
わたしたち夫婦が贈ったフルーツの礼が遅くなったという詫びのお手紙でした。

驚いたのなんの・・・。
すぐに、富山に住んでいる友人に頼んで病院に見舞いに行ってもらいました。

北欧旅行から帰国しお疲れだったところ偶然にわたしに遭ってしまったがために、
夜遅くまで酒を飲まれたのが災いしたのだろうと、わたしは思いました。

それから何か月かして恩師と再会したときは、お互いに涙なみだでありました。
おつきあいさせて申し訳なかったと詫びたわたしに恩師は、
「さぞ君が心配してくれているだろうと思っていたよ」とおっしゃって、
わたしを責めることはありませんでした。


あの時は、セレモニーとパーティーの合間で恩師の周りには大勢人がいました。
しかし、去年亡くなられたときは、恩師はご自宅でお独りでした。




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