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極東大寒波

2018年01月25日 14:29

極東大寒波

東京都心では、
今朝の最低気温が-4℃を記録したのだそうですが、これは48年振りのことだそうです。

しかし、
今から55年前の1963年(昭和38年)の寒波はそれ以上でした。

昭和38年ですから「三八豪雪」とか「極東大寒波」と呼ばれた、
記録的な寒波が日本全土に襲来したのでした。

日本全土というのも大袈裟ではなく、
九州各地から種子島や屋久島でも雪が降ったと謂われています。


さて、わたしの故郷である浜松もその例外ではありませんでした。
雪は他の地域に比べれば大したことはありませんでしたが、
寒波(低温)は凄まじいものがありました。

単に低温だというだけでは「寒波」とはいいません。
低温状態が何日もつづくことを「寒波」といいます。

昭和33年に開拓農民として浜松の三方原台地の一角に入植した父母でしたが、
昭和38年1月は、前年の秋から暮れにかけての初収穫を終えたばかりの時でした。
その時期に極東大寒波に遭ったのでした。

みかんの実を生らせて疲弊していた樹にとってこの大寒波は致命的でした。
葉は落ち樹も枯れて、地域のみかん農園はほぼ全滅したのでした。

しかし、わたしの父にとっては、
「極東大寒波で一本のみかんの樹も枯らさなかった」というのが生涯の自慢です。

父は、
初収穫したばかりみかんの樹を、根元から上を少しだけ残し、幹を伐ってしまったのでした。
そして、切り株となった樹の横に穴を掘り、その土を切り株に盛って樹と根を守ったのです。

みかん園でシャツ一枚になって鍬をふるっていた父、
夕食後に鍬を担いで出掛けてゆく父の姿を、6歳になったばかりだったわたしも憶えていますが、
初めて実ったばかりの樹を全て伐るしかなかった、そのときの父の心情を想うと胸が痛くなります。

しかし、
そのお蔭で、我が家のみかんの樹は一本も枯れることなく、その年の春にはまた芽吹いたのでした。

去年10月に亡くなった父が、もし生きていたら、
「極東大寒波のときは、こんなもんじゃなかったよ。しかし、あの頃が一番楽しかったなぁ・・・」と、
言ったでしょう。


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