笹乃雪

2017年01月21日 23:40

笹乃雪

第111代天皇に後西天皇という方がいらしたのだそうです。

その第6皇子である貴宮秀憲親王は、
出家して僧籍に入り法親王となられ、公弁法親王と申されました。

公弁法親王は、
毘沙門堂門跡、日光東照宮輪王寺門跡、上野の寛永寺貫首、東叡山輪王寺門跡、
そして、比叡山延暦寺天台座主を兼任された高僧です。

その公弁法親王が、
元禄3年(1690年)、東叡山輪王寺門跡に就任し関東に下向されました。

そのときに、
公弁法親王の御供をして京から江戸に下って来た玉屋忠兵衛という人がいます。

その玉屋忠兵衛が、
世に謂う“絹ごし豆富(豆腐)”を発明した人なんだそうです。


きょうは、
その初代玉屋忠兵衛が開いたという根岸のお豆富(豆腐)のお店に行ってきました。

お豆富(豆腐)のお店といっても、“お豆腐屋さん”ではありません。
根岸に在る、豆富料理店「笹乃雪」です。

きょうは、この「笹乃雪」で、息子の後援会の新年会が催され、
舞台がある大広間で、息子が「供奴」を披露させていただきました。

後援会の新年会

ところで、
「笹乃雪」という屋号は、
初代玉屋忠兵衛が創った豆富をことのほか好まれた公弁法親王が、
「笹の上に積もりし雪の如き美しさよ」と賞賛されたことが基だそうです。
その時賜ったという看板は、現在でも店内に掲げてありました。

看板

さて、
そのお豆富ですが、「笹乃雪」では豆腐が「豆富」と記されています。それは、
80年ほど前の9代目当主が料理店に「腐る」という字はふさわしくない思い、
それが理由で、以来「豆富」と記すようになったということです。

その豆富、
いまでも、井戸水とにがりを使用した昔乍らの製法で作られているそうです。

ところで、
元禄15年12月14日(1703年1月30日)に赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件が起こりました。
世に謂う赤穂事件ですが、大石内蔵助以下17人が討ち入り後に預けられた細川家の屋敷に、
公弁法親王から「笹乃雪」の豆富が義士たちに届けられたのだそうです。

将軍綱吉に、四十七士の切腹を進言したと謂われている公弁法親王ですが、
一方で、義士に対する心遣いをみせたというエピソードであります。

よくも悪しくも、赤穂浪士が行った主君の仇を討つという行為は、
その後の日本人のメンタリティーに大きな影響を及ぼしたのでした。

その背景には、公弁法親王「笹乃雪」の豆富の存在があったということです。

ところで、
討ち入った元禄15年12月14日は、いまの1月30日ということなんですが、
その後しばらくは寒い時季がつづいていたことでしょう。
大石内蔵助さんたちは、豆富を湯豆富にして食べたんでしょうかしら?



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