和解と寛容

2016年12月28日 23:59

わたしは、
上げ足を取ったり、水を注したりするつもりはありません。

歴史的な慰霊であり、感慨深いスピーチだったと思っています。

同じように、あの場に立った者として、
そのスピーチの内容にも大いに同意するものです。

そして、
あの場に行ってみれば、日米どちらの国民であったとしても、
多分、みな同じことを思うでしょう。

但し、雄弁なスピーチの美辞麗句だけに囚われるのは危険です。

なぜなら、
勇ましい美辞麗句によって、75年前に戦が始まったのであり、
憎しみの美辞麗句によって、報復が始まったのですから。

そしていまでも、
シリアでは、アメリカとロシアの代理戦争が進行中であり、
多くの子供や女性や老人を含む無辜(むこ)の民が亡くなっている現実があります。
また、次期アメリカ大統領は、核能力を強化する必要を説いています。

我が国の沖縄では、
日米地位協定の変更もされないまま、オスプレイが再び飛行を再開し、
辺野古の工事も再開されています。

これが、
本当の「和解と寛容」の姿でしょうか?

きょうの、総理のスピーチの全文を載せさせていただき、
あらためて、これらのことについて考えてみたいと思います。



オバマ大統領、ハリス司令官、ご列席の皆さま、そして、全ての、米国民の皆さま。
パールハーバー、真珠湾に、今私は、日本国総理大臣として立っています。
耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。
降り注ぐ陽の、柔らかな光に照らされた、青い、静かな入り江。
私の後ろ、海の上の、白い、アリゾナ・メモリアル。
あの、慰霊の場を、オバマ大統領と共に訪れました。

そこは、私に、沈黙を促す場所でした。亡くなった、軍人たちの名が、記されています。
祖国を守る崇高な任務のため、カリフォルニア、ミシガン、ニューヨーク、テキサス、
さまざまな地から来て、乗り組んでいた兵士たちが、
あの日、爆撃が戦艦アリゾナを二つに切り裂いた時、紅蓮の炎の中で、死んでいった。

75年が経った今も、海底に横たわるアリゾナには、数知れぬ兵士たちが眠っています。
耳を澄まして心を研ぎ澄ますと、風と、波の音とともに、兵士たちの声が聞こえてきます。

あの日、日曜の朝の、明るくくつろいだ、弾む会話の声。
自分の未来を、そして夢を語り合う、若い兵士たちの声。
最後の瞬間、愛する人の名を叫ぶ声。生まれてくる子の、幸せを祈る声。
一人、ひとりの兵士に、その身を案じる母がいて、父がいた。
愛する妻や、恋人がいた。成長を楽しみにしている、子どもたちがいたでしょう。
それら、全ての思いが断たれてしまった。その厳粛な事実をかみしめる時、私は、言葉を失います。

そのみ霊よ、安らかなれ-。
思いを込め、私は日本国民を代表して、兵士たちが眠る海に、花を投じました。

オバマ大統領、米国民の皆さん、世界の、さまざまな国の皆さま。
私は日本国総理大臣として、この地で命を落とした人々のみ霊に、
ここから始まった戦いが奪った、全ての勇者たちの命に、
戦争の犠牲となった、数知れぬ、無辜(むこ)の民の魂に、
永劫(えいごう)の、哀悼の誠をささげます。

戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない。私たちは、そう誓いました。
そして戦後、自由で民主的な国を造り上げ、法の支配を重んじ、
ひたすら、不戦の誓いを貫いてまいりました。
戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たち日本人は、静かな誇りを感じながら、
この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

この場で、戦艦アリゾナに眠る兵士たちに、米国民の皆さまに、世界の人々に、
固い、その決意を、日本国総理大臣として、表明いたします。

昨日、私は、カネオヘの海兵隊基地に、一人の日本帝国海軍士官の碑(いしぶみ)を訪れました。
その人物とは、真珠湾攻撃中に被弾し、母艦に帰るのを諦め、引き返し、戦死した、
戦闘機パイロット、飯田房太中佐です。

彼の墜落地点に碑を建てたのは、日本人ではありません。
攻撃を受けた側にいた、米軍の人々です。死者の、勇気をたたえ、石碑を建ててくれた。
碑には、祖国のため命をささげた軍人への敬意を込め、
「日本帝国海軍大尉(だいい)」と当時の階級を刻んであります。
The brave respect the brave. 「勇者は、勇者を敬う」。

アンブローズ・ビアスの、詩は言います。
戦い合った敵であっても、敬意を表する。憎しみ合った敵であっても、理解しようとする。
そこにあるのは、米国民の、寛容の心です。

戦争が終わり、日本が、見渡す限りの焼け野原、貧しさのどん底の中で苦しんでいた時、
食べるもの、着るものを惜しみなく送ってくれたのは、米国であり、米国民でありました。
皆さんが送ってくれたセーターで、ミルクで、日本人は、未来へと、命をつなぐことができました。

そして米国は、日本が、戦後再び、国際社会へと復帰する道を開いてくれた。
米国のリーダーシップの下、自由世界の一員として、私たちは、平和と繁栄を享受することができました。
敵として熾烈に戦った、私たち日本人に差し伸べられた、こうした皆さんの善意と支援の手、
その大いなる寛容の心は、祖父たち、母たちの胸に深く刻まれています。
私たちも、覚えています。子や、孫たちも語り継ぎ、決して忘れることはないでしょう。

オバマ大統領と共に訪れた、ワシントンのリンカーン・メモリアル。その壁に刻まれた言葉が、私の心に去来します。
 「誰に対しても、悪意を抱かず、慈悲の心で向き合う」。
 「永続する平和を、われわれ全ての間に打ち立て、大切に守る任務を、やり遂げる」。
エイブラハム・リンカーン大統領の、言葉です。

私は日本国民を代表し、米国が、世界が、日本に示してくれた寛容に、
改めて、ここに、心からの感謝を申し上げます。
あの「パールハーバー」から75年。
歴史に残る激しい戦争を戦った日本と米国は、歴史にまれな、深く、強く結ばれた同盟国となりました。
それは、今までにも増して、世界を覆う幾多の困難に、共に立ち向かう同盟です。
あすを開く、「希望の同盟」です。

私たちを結び付けたものは、寛容の心がもたらした、the power of reconciliation、「和解の力」です。
私が、ここパールハーバーで、オバマ大統領と共に、世界の人々に対して訴えたいもの。
それは、この、和解の力です。戦争の惨禍は、いまだに世界から消えない。
憎悪が憎悪を招く連鎖は、なくなろうとしない。
 
寛容の心、和解の力を、世界は今、今こそ、必要としています。
憎悪を消し去り、共通の価値の下、友情と、信頼を育てた日米は、
今、今こそ、寛容の大切さと、和解の力を、世界に向かって訴え続けていく、任務を帯びています。
日本と米国の同盟は、だからこそ、「希望の同盟」なのです。

私たちを見守ってくれている入り江は、どこまでも静かです。
パールハーバー。真珠の輝きに満ちた、この美しい入り江こそ、寛容と、そして和解の象徴である。

私たち日本人の子どもたち、そしてオバマ大統領、皆さん米国人の子どもたちが、
またその子どもたち、孫たちが、そして世界中の人々が、
パールハーバーを和解の象徴として記憶し続けてくれることを私は願います。
そのための努力を、私たちはこれからも、惜しみなく続けていく。
オバマ大統領とともに、ここに、固く、誓います。ありがとうございました。
(2016/12/28)
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