錦糸町の味噌ラーメン

2016年09月02日 20:02

錦糸公園前交差点

きょうは、千葉に用事があって出掛けましたが、
時間に余裕がありましたので、錦糸町で途中下車しました。

JR錦糸町駅の北口を出て右方向へ歩くと、
「錦糸公園前」という交差点が在ります。
一角には、その名の錦糸公園が在りますが、
もう一方の角には、ドトールコーヒーショップが在ります。

その場所に、
わたしの母方の4代・5代前のご先祖さまが住んでいました。
わたしの祖父の母と祖父母の家だったのです。

わたしの祖父の母方の祖父は、青木彌五右衛門という人でした。
嘉永5年の「江戸切絵図」には、青木弥五右エ門と載っています。

江戸時代、青木家は代々「御先手組」を務めていました。
主に江戸城の警備を担い、鉄砲の火薬の管理をするお役だったようです。

それが幕末の慶応3年1867年、
徳川15代将軍・徳川慶喜公の護衛隊である「精鋭隊(後の新番組)」を命ぜられ、
戊辰戦争を生き抜いて、明治2年(1869年)謹慎を解かれた徳川慶喜公に随行して、
家族と共に静岡に移住しました。

静岡に移った後は、久能山東照宮の警備の仕事に就いたようであります。

そして、移住してすぐのことでした。
同じく移住した元・精鋭隊士(後の新番組)が村人を斬ってしまいました。
理由は解りませんが、自棄を起したのかもしれません。

すぐさま、その隊士の切腹が決まりました。

そして、
青木彌五右衛門は、その介錯を務めたのだそうです。

既に二人とも亡くなっていますが、
わたしの母も母の実家の伯父も、その話を少しだけ知っていました。
そして、ご先祖が切腹の介錯をしたことを忌み嫌っていたのでした。

しかし、
その事件の詳細を知ってみると、決して忌み嫌うような事ではありません。

その時代に翻弄されながら、様々な哀しみのなかで必死に生きた
ご先祖さまの生きざまに感動すら覚えるのであります。

青木彌五右衛門は妻と娘を遺し、明治8年(1875年)に病死しました。
一人息子だった青木彌一郎も明治6年(1873年)に亡くなっています。
そこで、祖父の母、わたしの曾祖母は青木の家を継ぐことになったのでした。

そんなご先祖のことなど思いながら、散歩していたのですが、
腹が減ったので、昼食を摂ることにしました。

ドトールコーヒーでとも思ったのですが、
お隣の北海道ラーメンのお店に入りました。

ご先祖さまのことを思い乍ら食べた、
「札幌味噌ラーメン味付け玉子バターコーン乗せ」であります。

錦糸町の味噌ラーメン

少し元気になりました。



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