理由

2016年09月01日 23:59

お岩水かけ観音

一年前、或る人にこう言われました。

「貴方が受け容れることができる人だから、
 どうにかできる人だからさ、そういう人に“そういうこと”が起こるんじゃない?」

その人とは、わたしが若い頃からのおつき合いです。

わたしの人生にも、長い年月にはいろいろなことが起こりました。
よい事も、わるい事も起こりました。
そんな、わたしに起こったいろいろな出来事を知っていてくれる人です。

「わたしの人生、滅多に起こらようないことが起こるんだよねぇ・・」
わたしがそう言ったので、その人が“そう”言ったのでした。

こんなことを、一年経ってもまだ考えています。


べつに、出来事が人を見て起こるワケではないでしょう。
受け容れる器量がある人にだけ、何か起こるワケじゃありません。

93年前に関東大震災に遭った人たちは、
それを受け容れる器量があったから震災に遭ったワケではないのです。

では、因果や因縁で起こるのか?
モチロン、そんな馬鹿気たことはありません。

先祖を粗末にすると起きるのか?それも馬鹿気ています。
粗末もなにも、そもそも皆さんは、
三代前までの自分と繋がりのある親族の名を全て言えますか?
粗末にするもなにも、ほとんどの人のことをご存知ないじゃありませんか。
そして、先方だって貴方のことなんか知らないかもしれないのですよ。

こうして、
“なぜこんなことが起こるのか?”、“なぜ自分はこんな目に遭うのか?”
それを考えたって仕方がないのでありますよ。

何故、あの女優はあんな目に遭うんだ・・・。
何故、あんな事件が起こったんだ・・・。
何故、あの災害が起きたんだ・・・。
何故、あの子は自殺したんだ・・・。

その理由を考えるべき事柄と、
それを考えても仕方がない事柄があるのであります。


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