報道されることの価値

2016年08月29日 23:59

<独り言>

「まず被害者のことを最優先に考えて・・・云々」

「被害に遭われた方のお気持ちを考えると・・・云々」

「セカンドレイプ・・・云々」


配慮されたような言説が、最後に表明される。

ほんとうに被害者の気持ちを想像して、それを優先するならば、
報道しなければよい。容疑者の母親が、“謝罪会見”を行うべきではなかった。

しかし、
テレビのワイドショーでも、このブログのようなSNS上でも、
22歳の男性が宿泊先で強姦致傷罪を犯した事件を扱うのは、
その男性が若手新人俳優だからでもなく、その母親が有名女優だからでもなく、
「性欲を抑えられなかった」という理由で、
女性を騙して、前後の見境もなく力づくで犯行に及ぶ行為があったからだ。

そして、
そんな卑劣な愚かな行為が、短絡的に行われたことを、
社会に生きる人間の行いとして、どう理解すればよいのか、
どのように防止したり、対策を講じたらよいのか、
それこそが、この悲惨な事件が報道を許される唯一の理由だと思う。

被害に遭われた方には、誠に申し訳ないことではあるが、
それは、被害者の気持ちを慮ることより社会にとって優先することだと思う。

そして、そのことは、
もしかしたら、被害に遭われた方にとっても重要な意味をもつかもしれない。


その意味で言う。

母親の“謝罪会見”で、
「容疑者の性癖や性的嗜好についてなにか気づいていなかったか?」
という質問に及んだのは当然だし、そこにもっと焦点を当ててほしかったと、
わたしは、思う。

それは、
「事件の第一報を聞いてどう思ったか?」とか、
「容疑者にどのような言葉をかけたのか?」といった質問より、
はるかに報道する価値のある質問だし、最も知りたい情報だからだ。


「あいつは、バカなんだよ」

「甘やかして育てられたんだ」

そんな簡単には片付けられないし、また片付けてはいけない事件なのだ。


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