善人尚もて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや

2016年06月09日 23:59

以前も採り上げたことがありますが、
天台宗には、「千日回峰行」という、7年間かけて行なわれる修行があります。

1年目から3年目までは、1日に30キロの行程を毎年100日間行じます。
定められた礼拝の場所260箇所以上を巡ります。

4年目と5年目は、同じく30キロをそれぞれ200日。
ここまでの700日を満じて、
9日間の断食・断水・不眠・不臥の「堂入り」に入り、不動真言を唱えつづけます。

6年目は、これまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり、
1日約60キロの行程を100日。7年目は200日を巡ります。
前半の100日間は“京都大廻り”と呼ばれ、
比叡山山中の他、赤山禅院から京都市内を巡礼し、
全行程は84キロにもおよびます。
最後の100日間は、もとどおり比叡山山中30キロをめぐり満行となるものです。

行者は、白装束に、蓮華笠を被り、草鞋を履き、
行が行えなくなったときの首吊り用の死出紐を肩から下げ、
降魔の剣という自害用の短刀を腰に差し、蓮華笠の紐の付け根には、
一文銭が6個、死出の旅への通行手形として付けていて、
「行き道はいずこの里の土まんじゅう」という句を懐に持っていると謂います。

これほど過酷で、命を懸けるほど厳しい修行をしているから、
修行僧が他人にも厳しいのかどうかは、判りません。

では、何故このような苦行を行うのかと申しますと、
比叡山の峰々を巡り、山川草木ことごとくに仏性を見いだすためなのだそうです。

仏に出逢うのは、左様に困難なことなのでしょう。


その比叡山延暦寺で修行したこともある、
浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の口伝「歎異抄」に曰く。

善人尚もて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや
しかるを世の人つねに曰く「悪人なを往生す、いかにいはんや善人をや」。
この条、一旦その謂われあるに似たれども、本願他力の意趣に背むけり。
その故は、自力作善の人(善人)は、
ひとへに他力をたのむ心欠けたる間、弥陀の本願に非ず。
しかれども、自力の心を翻して、他力を頼み奉れば、真実報土の往生を遂ぐる也。
煩悩具足の我ら(悪人)は、いづれの行にても生死を離るることあるべからざるを、
憐み給いて願を起し給う本意、悪人成仏のためなれば、
他力をたのみたてまつる悪人、尤も往生の正因なり。
依って善人だにこそ往生すれ、まして悪人は・・・と、仰せ候(親鸞聖人が)。


さて、
そんな、天台宗総本山・比叡山延暦寺の施設「延暦寺会館」の副館長を務める、
僧侶が修行僧の男性の顔を殴り、耳の鼓膜が破れる怪我をさせていたことが、
分かったという報道がありました。

社会生活とか教育とか法律という尺度で測ることのできない、
信仰とか宗教といった世界での出来事だと捉えますと、
この僧侶は、最も救われるべき対象だということになりますが、
この僧侶を、宗教団体として、どのように処遇したらよいのか、
なかなかに難しいところではあります。


ところで、
親鸞聖人同様に延暦寺で修行した日蓮聖人の訓えを信仰し、
教義を学ぶ学習会組織を背景にして政治を行っている政党が、
“悪人”や“非道”に寛容なのは、そんな訓えの所以なのでありましょうか?




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