蜷川さんと青山斎場

2016年05月16日 17:10

とかく、俳優や演出家が突出して話題になりますが、
“演劇は誰のもの”と云った命題はついてまわります。

或る意味、観客のものであり、創り手のものでもあります。

しかし、
演劇は、あらゆる専門家が集団となって創り上げるものです。
演劇の創造は、特定のダレかが創れるほど簡単な作業ではありません。

それゆえに、
劇作家も苦しみ、演出家も悩み、俳優はもがき、スタッフが汗をかくのです。
それらすべてを受け捕るのが観客ですが、一人でも観客がいなければ、
演劇は完結しません。

観客だってそれを受け捕るのですから、それなりにタイヘンなんであります。


今から39年前の1977年、演劇科の学生だったわたしは、
大枚を叩いて帝国劇場に「三文オペラ」という芝居を観に行きました。

先輩が出演しているというので観に行ったのですが、蜷川幸雄演出でした。

さて、
アングラ演劇をやっていた人間が、商業演劇の演出をする。
そのことの意味をお解りでない方のためには、少々説明が必要でしょう。

謂わば、
象徴的に云って“劇場から脱出した演劇”と呼ばれるアングラ演劇は、
既存のあらゆる演劇を構成する事柄からの脱出であり、
演劇的既成概念からの開放を意図して創られ、存在していました。

そんなアングラ演劇の世界に身を置いた人間が、
その対極にあるような商業演劇の演出をするというのですから、
演劇界の話題にならないワケはありませんでした。

しかし、
理屈やイデオロギーだけで演劇を語るのは愚かなことです。
表現の方法には、なにが試されても構わないハズなのですから。


開演前から、三階建てのバルコニーのセットが見えていました。
相当に、お金がかかっている舞台だということが判りました。
舞台美術家の朝倉摂さんのプランでした。

その「三文オペラ」ですが、例によって感想は、ここには記しません。
ただただ、「三文オペラ」と格闘しているように感じた舞台でした。


その「三文オペラ」を始め、蜷川演出の多くの舞台美術を担当した
舞台美術家の朝倉摂さんが亡くなられたのは、2年前の2014年3月27日でした。
朝倉さんの盟友・藤間紫先生と同じご命日です。

そのお通夜が、その年の3月30日に青山斎場で営まれました。

わたしも、
公私ともにお付き合いいただいた一人として参列したのですが、
夕暮れの青山斎場の桜を撮ろうと思ってシャッターを切りましたら、
そこに蜷川さんが写っていたのを、後で気づきました。

きょうは、その青山斎場で、
蜷川幸雄さんの告別式が執り行われました。

合掌

世界のニナガワ


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