レガシー

2016年05月11日 23:59

“独り言”

今月27日にオバマ大統領が、
アメリカ合衆国大統領として初めて広島を訪れることが決まったのだそうだ。

ホワイトハウスの報道官は、
「核なき世界の実現に向けたメッセージを送ることは大統領のレガシーになる」
と、そんなことを云っているのだそうだ。

そう云う一方で、
「今回の訪問を“謝罪”と解釈するのは誤りだ。原爆投下は“正しい決断”だった」
と強調しているんだと。


結局、アメリカは謝らない。

いや!“国”というものは謝らない。
だから、期待してもはずれる。

「我が“国”は、原爆の“被害者”だ」と云えば、
「いや、あなたの“国”は、加害者だっただろう」と云われる。

止むに止まれぬ理由があったのだと云っても、聴いてはもらえない。

勝った国があって、敗けた我が“国”があって、
生きてゆくために、食ってゆくために、復興するために、
勝った国の言う通りにして生きてきた。

原爆を2つも落とした国であっても
“勝った国”の機嫌を損ねないようにして、生きてきた。
怒ったり、抗議したりもしなかった。

しかし、
広島で、長崎で、なにがあったか・・・。
戦争がワルイと云えば簡単だが、それで片付くことではない。

被爆者と呼ばれた人たちは、
家族や大切な人たちを亡くし、身体中を焦し、放射能に怯え、
差別と偏見に晒され、怒ることも抗議することも許されず生きてきた。

こんなに理不尽なことが、此の世にあってよいのかと、
神も仏も恨んで生きてきた。

“核のない世界”に向かおうというメッセージを発信するのはいい。
だが、被爆した人たちが腹に呑んだの怒りや絶望だって、人類のレガシーだ。

コメンテーターが、
謝罪するかしないかの二分法で捉えるのではなく、
未来思考で核なき世界の第一歩と捉えた方がいい。
そうしたり顔で云っていた。

またしても、
被爆した人たちは怒る機会も謝罪してもらうチャンスも失ってゆく。

大統領が一言でも謝ってくれたら、怒りや恨みを抱えた人たちが、
どれだけ救われることか・・・。どれだけ楽になれることか・・・。
怒りや恨みを抱きながら生きることが、どれだけ辛いことか・・・。

今月27日、広島の地に立って、
アメリカ合衆国大統領として、なにを思うのか。
一人の人間として、なにを思うのか、興味深い。


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