2016年04月28日 23:59

きのうは、不忍通りのイチョウ並木が伐採されたおウワサでしたが、
本日は、鬼子母神参道のケヤキ並木が保存されたというおウワサです。
そもそも、ケヤキ並木のケヤキは、
天正年間に雑司ヶ谷村の長島内匠が鬼子母神に奉納したものなのだそうです。
江戸時代の弘化元年(1844)には、
江戸城本丸の普請のためにケヤキを伐採しようとした村役人に対して、
法明寺側が反対運動を起こして伐採を中止させたことがあったのだそうです。
また、戦前には枯れてゆくケヤキの樹を惜しんで保存会が結成されました。
演劇人の大先輩で、
日本児童文学者協会の会長でもあった秋田雨雀らが結成した保存会で、
活動が認められて、1940年(昭和15年)には都の天然記念物に指定されました。
その「鬼子母神大門欅保存会」による保存活動は、現在もつづけられています。

さて、一年経つのは早いものですが、
ちょうど一年前に、ある先輩に電話したことを思い出しました。
つづけざまに大病を患い闘病中の先輩でしたが、
元気な頃には、よく池袋東口の東通りから雑司が谷界隈を散歩しに訪れ、
わたしに電話してきた人でした。
生憎、いつも突然のことだったので、その誘いに乗ったことはなかったのですが、
元気だったときに逢っておけばよかったと後悔しています。
出歩くことも、10分以上話をすることも難しいと話していましたが、
「もう、そう長くはないと思うよ」と云っていました。
「気持ちを落とさないでくださいね」とわたしが云ったら、
「そら、気持ちも落ちるわな、この状況じゃあ・・・」と、云っていました。
わたしが来年(今年)の話をしたら、
そのときには此の世にいないかもしれないと云いました。
しかし、先輩の闘病はつづいているものの、現在も“お元気”です。
いろいろな思いで、一年を過ごす人がいるものです。
でも、こうしてことしも新緑の季節がめぐってきました。

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