かむろ坂

2016年04月25日 23:59

かむろ坂

1976年、いまから40年前。

わたしは、毎日この坂道を歩いて通っていました。
この坂道は、「かむろ坂」といいます。

それは、短い間のことでしたが、
きょう坂道を歩いていたら、鮮明に蘇った記憶です。


1975年の夏、わたしは故郷を飛び出しました。
演劇がやりたくて、家出をしたのです。

新宿のデパートにレストランを出店している会社に就職して、
世田谷の豪徳寺駅の近くに在った寮に住み込んで働きましたが、
下北沢駅のホームで再会した故郷の友人の経堂のアパートに、
無理やり転がり込んでヤサを得て、会社を辞めて寮を出ました。

その後、配膳の仕事を得て、羽田空港の国内線出発ロビーに在った
レストランでウェイターとして働きだしてから金が貯まったので、
目黒不動尊の門前の共同アパートの四畳半を借りたのでした。
そして、毎日坂道を下って羽田空港や芝のホテルに通いました。

職場には馴染めなくて、トラブルばかり起していましたが、
何度も止めようとした煙草と、小説が気を紛らわせてくれていました。

演劇科のある大学へ入学することを目標にはしていましたが、
その準備になにをしたらよいのかも判らず、自信もなく焦っていました。


当時、東急目黒線は「目蒲線」と謂いました。
目黒を出発して一つ目の駅が「不動前」です。

不動前の駅の改札を出て、商店街を抜け、
かむろ坂を上ったところに信号が在ります。

その信号を右折すると、
目黒不動尊へ至る参道で、わたしのアパートも参道沿いに在りました。
しかし、その信号を左折して約400メートル行くと桐ケ谷斎場が在ります。

その桐ケ谷斎場を通り過ぎて高速道路を二本くぐると、大崎です。
大崎には、母の兄である伯父夫婦が住んでいました。

新宿のデパートで働きだしたとき、
心配して会いに来てくれた伯父と、休憩中に職場を抜け出して、
新宿五丁目の交差点の角で再会したことを想い出します。

それ以来、ことあるたびに大崎の伯父夫婦の家に行っては、
二人に話を聴いてもらったり、相談に乗ってもらったり、
食事をご馳走になったりしました。

知り合いに相談して、我が母校を薦めてくれたのも伯父でした。
常に、わたしの話を聴いては、励ましつづけてくれました。


その伯父が、4月17日に亡くなりました。

長い間、雨の日も暑い日も寒い日も毎日看病に通った伯母を遺して逝きました。
先日の3月14日、バレンタインデーに満90歳のお誕生日を迎えていました。
89歳と半年で亡くなった、わたしの祖父を超えたと喜んでおりました。

きょう、桐ケ谷斎場で葬儀・告別式が行われました。


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