三回忌

2016年03月27日 12:58

藪原検校

藪から棒ですが、「藪原検校」という戯曲があります。

本田延三郎・製作、井上ひさし・作、木村光一・演出で、
1973年に初めて上演された作品です。

製作者や演出家が変わっても、上演されつづけている、
井上ひさし戯曲の最高傑作だと、わたしは思っています。

そのことは、
日本各地と世界の観客によって裏付けらていると思います。

初演時に、「藪原検校」の舞台を演出家の母親が観ました。
そのとき、息子は、こんな粗末な舞台しか創らせてもらえないのか
と云って嘆いたというエピソードがあります。

藪原検校」は、暗闇に無造作に赤い綱が垂れ下がり、
舞台には汚らしい綱が縦横に張られていただけでした。

「お金が無いからこんな舞台しか創れないのだろう」と、
後に日本を代表する演出家の一人に数えられる人の母は思ったのでしょう。

その「藪原検校」の舞台美術を担当したのは、舞台美術家の朝倉摂さんでした。
朝倉摂さんは、こうおっしゃっています。

「まず当時台本を手にして、発想の豊かさにこれは面白くなると思ったが、舞台装置としてむずかしいなあとも思った。あたりまえのセットではとてもつまらないし、装置は劇場の空間ともかかわりのあることなので、その当時パルコのように観客席が急斜面になっているのはめずらしかったので、上から見おろすことを考えて、床をなんとかしたいと思った。演出の木村さんと相談して、まず綱を使うことを考えた。これは井上さんの戯曲の初めのところに目の不自由な人は綱につかまるということがあったので、綱をたよりに、たてとよこに綱を張ることを決めた。」
地人会藪原検校」公演パンフレットより)

藪原検校」といえば「綱」と謂われるほど、
「綱」の存在と使い方は、「藪原検校」の象徴にしてテーマでもあったのではないかと思います。

藪原検校」の初演は、「五月舎」の本田延三郎さんのプロデュース作品でした。
うちのカミさんの父は、そのころ五月舎をサポートしていました。

初演時、朝倉摂さんと本田延三郎さんが、
染め上がった布を何日も川に通って晒し、裁いて綯って「綱」を作ったのだと聴いたことがあります。
いい芝居を創るためなら、美術家も制作者も隔たりなくなんでもやったのです。

そんな舞台美術を創造されたのは、朝倉摂さんです。
その意味では、「藪原検校」という作品は、朝倉摂作品なのでした。


きょうは、朝倉摂さんが亡くなられて2年目のご命日です。
ことしは、三回忌にあたります。

長いあいだ、ありがとうございました。




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