菊池寛と三角寛

2016年03月06日 23:59

きょうも、雑司が谷散歩です。

さて、わたしの母方の祖父は、
明治21年(1888年)1月1日に生まれ、
昭和52年(1977年)7月25日に亡くなりました。
享年90、生きていれば128歳です。

明治21年(1888年)といえば、
7月に、元幕臣・山岡鉄舟が亡くなっています。

また、
大日本帝国憲法が公布されたのは、翌・明治22年ですから、
祖父も、明治維新の空気を少しは吸ったのかもしれません。

その明治21年(1888年)生まれには、
画家の梅原龍三郎や、作家の菊池寛などもいますが、
菊池寛は12月26日生まれですから、
祖父とは、1年ちかく離れています。

さて、
きょうは、その菊池寛さんのご命日です。

菊池寛邸跡


旧・菊池寛邸は、いまではマンションに変わっていますが、我が家の近くに在り、
かみさんの祖父・三角寛の暮らした家(現・雑司が谷「寛」)の数軒先です。


雑司が谷寛

かみさんの祖父・三浦守は、朝日新聞の記者でしたが、
説教強盗」事件を取材したことをキッカケにサンカを知ることとなり、
昭和4年から、記者をやりながらサンカ小説を書き始めました。

二足の草鞋が厄介でもあり、昭和6年頃からはペンネームを使いました。
そのペンネームが「三角寛(みすみ かん)」です。

三角寛というペンネームを世間では、親交もあり、後にご近所に越してきた、
菊池寛さんにあやかったのだろうと邪推したようですが、
そのときに3歳だった娘(かみさんの母)“寛子”の名から一字採ったのでした。

一方、ペンネーム三角寛の“三角”の所以ですが、
三角寛は、大分県竹田市の生まれですから、
熊本県の三角岳や三角町からきているという説や、
三角をサンカにかけているのではないかという説もありますが、
いまでも判っていません。

プレート

いずれにしても、
作家同士、ご近所同士でもあった菊池寛三角寛でした。

菊池寛さんのお宅に、よく頂き物のお裾分けを持って行った話、
オール讀物」の担当編集者が菊池寛さんの甥子さんで、
三角寛の原稿を待つ間、お茶の間でお喋りしたことなど、
亡くなったかみさんの母が話してくれました。


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