青木家のこと

2016年02月20日 23:59

老舗の百貨店 ” 越後屋 ” で総務部長をしている親戚が、
メールをくれました。

わたしのブログを読んでくれているというのです。
このところ書いているご先祖様たちの記録ですが、
わたしたちにとって共通の曾祖父母たちのことです。

同じく、共通の曾祖父母をもつ子孫の一人である、
清水のH寺のご住職が資料を送(贈)ってくれました。
すると、いくつか新たに判ったことがありましたので、
きょうは、それを少しだけご披露したいと思います。

青木家跡

昨日は、総武線錦糸町駅北口の錦糸公園前交差点の一角に在る、
ご先祖様がむかし住んでいたと思われる場所に行ってきましたが、
そのご先祖様のことを少し書こうと思います。

嘉永5年1852年に編纂された「江戸切絵図」に記載されているご先祖様の名は、
「青木弥五右エ門」となっていますが、正しくは「青木彌五右衛門」と思われます。

青木家は、
代々「御先手組」という、戦時において先陣・先鋒を務めるお役を頂き、
江戸時代には、主に江戸城の警備役を務める家だったようです。

禄高は200石で、
知行地と謂われる与えられた土地が常陸下総に在ったようです。

慶応2年1866年には、御先手組として各地へ警護にでかけ、
御鉄砲玉薬奉行の実務責任者を任じられていたようです。

慶応3年1867年には、徳川15代将軍・徳川慶喜公の身を危ぶむ、
恭順派勝海舟大久保一翁中條金之助に命じて組織させた、
将軍の護衛隊である精鋭隊に加わり、後に静岡まで随行しました。

この精鋭隊の隊長であった中條金之助は、静岡に移住した後に、
元幕臣たちを組織して牧之原台地を開墾し茶業を興した人として有名です。

ご先祖様たちも中條金之助も、
勝海舟山岡鉄舟による江戸無血開城が成功していなかったら、
たぶん、江戸城を枕に討ち死にしていた人たちであります。



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