水に落ちた犬

2016年02月11日 18:08

魯迅はひと振りの匕首(あいくち)である」
劇作家の宮本研さんが、そう云いました。

水に落ちた犬は叩け打落水狗)」
これは、その魯迅の言葉だそうです。

水に落ちた犬を助けても、
助けられたことが解ぬ犬に噛みつかれるかもしれない。
敵として対峙し甲斐のない犬などは、
水に落ちたら打ち殺してしまうに限るのである。

多分、そんな意味でしょう。

革命を成すには、なんでも有りと考えた魯迅らしい言葉です。

但し、
それは何かを成すためや、敵と対峙するときの心得であって、
直接何の関係もない世間の出来事に対する心構えではありません。


さて、野球界で一世を風靡した元・選手が、
覚醒剤を使用していたらしいとして逮捕され、連日報道されています。

現役選手時代から使用していたらしい、とか、
今後、プロ野球関係者や格闘家、ミュージシャンなどの芸能人へ、
芋づる式に捜査の手が伸びるらしい、とか、
覚醒剤の入手先について口を割らないのは、
販売ルートを牛耳る反社会勢力の仕返しを怖れるからだ、とか、
話題の切り口は尽きないのであります。


ところで、“水に落ちた犬”の話ですが、
「なぜ違法薬物に手を出したのだ」
「薬物を止めるチャンスは何度もあったはずだ」
「野球人としても、人間としても失格だ」
「意志が弱いからだ」
「天才かもしれないが、バカなんだ」
批判は、事ほど左様に喧しいかぎりであります。

しかしそれは、
木から落ちた人に木登りの危険を説くようなもので、
“既に水に落ちた犬”に云っても詮無いことでしょうから、
寧ろそれは、皆一人ひとりの自戒と捉えれば有意義です。

だって、一番後悔し、繰り返したくないと思っているのは、本人でしょ?
(イヤ!まだ思ってないかもしれませんが)

一番後悔するのも、一番苦しむのも、一番嫌うのも、一番望むのも、
そして、一番信用できないと思っているのも、本人だと思います。

この場合声を掛けるとしたら、
「もう二度と絶対にやっちゃダメ」そんな忠告がどれだけ功を奏するでしょう?

世の中、「ああしろ」、「こうしろ」、「あそこがダメ」、「ここもダメ」、
「こうあるべき」、「謝るベッキー」、・・・そんな批判ばかりです。

叩いてばかりいても、赦してやっても、いつかまた繰り返すのです。
ならばいっそ、いま打ち殺してしまいますか?


問題は、
社会として、どうしたら繰り返させないか、
繰り返させない仕組みを如何に創るかではないでしょうか?

賄賂に、不貞に、覚醒剤。

どうしたら、
こんな状態の国から、人々を救えるのかという視点ではないでしょうか?

建国を祝うのも結構ですが、
その視点を持って国を憂うことがなければ、単なる“おめでたい国”です。


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