あゝモンテンルパの夜は更けて

2016年01月29日 19:00

800px-渡辺はま子2

あゝモンテンルパの夜は更けて」という歌をご存知ですか?

♪モンテンルパの 夜は更けて
 つのる思いに やるせない
 遠い故郷 しのびつつ
 涙に曇る 月影に
 優しい母の 夢を見る


1952年、歌手の渡辺はま子さんが歌って大ヒットした歌です。

この歌は、フィリピンマニラ郊外に在る
モンテンルパの刑務所に収容されていた死刑囚の作った歌でした。
作詞したのは、B級戦犯死刑囚の代田銀太郎元大尉、
作曲したのは、B級戦犯死刑囚の伊藤正康元大尉。

そのエピソードです。

1952年(昭和27)1月、渡辺はま子さんは、
来日したフィリピンの国会議員ピオ・デュラン氏から、
モンテンルパの刑務所に多くの元日本兵が収監されており、
既に14人が処刑されたという話を聴きました。

戦後7年が経ってなお、異国で死刑を待つ人たちがいると聴いた彼女は、
銀座の鳩居堂で買ったお香を刑務所に送ったのでした。
すると、1952年6月、渡辺はま子さんの自宅に一通の封書が届きました。
モンテンルパ刑務所の教誨師・加賀尾秀忍師から送られてきたものです。

その封書の中には、
手紙とともに、「モンテンルパの歌」という題名の楽譜が入っていました。
作詞:代田銀太郎、作曲:伊藤正康と書いてありました。

渡辺はま子さんは、レコード化に奔走します。
そして、遂にこの歌を大ヒットさせたのでした。

この歌によって、その謂われを知った日本人たちは
戦犯の助命を願って嘆願書の署名活動を始めました。
そして、500万人分の助命嘆願書が集まったのでした。

渡辺はま子さんは、
当時、国交が無かったフィリピン政府に、戦犯慰問の渡航を嘆願し続けました。
そして、1952年12月、遂にモンテンルパの刑務所への慰問が実現します。
熱帯の12月、40℃を超す暑さの中、渡辺はま子さんは振袖を着て歌いました。

そのことは、やがて当時の大統領の耳に入りました。

フィリピンのエルピディオ・キリノ大統領は、
戦争中の“マニラの戦い”で、身柄を拘束され毎日拷問を受けた経験をもち、
奥さんと子供3人を日本兵に殺された人でした。

反日感情の根強い中、自身も日本兵に憎しみをもつキリノ大統領でしたが、
この曲を聴きて、日本人戦犯108人に特別の恩赦令を発令し帰国を許したのでした。
「憎しみの連鎖は絶たなくてはならない」というのがその理由でした。

ですから、渡辺はま子さんとエルピディオ・キリノ大統領のエピソードと、
「あゝモンテンルパの夜は更けて」という歌を、日本人は忘れることはできません。


フィリピン日本人戦没者の碑

両陛下は、
きょう日本人戦没者の慰霊碑「比島戦没者の碑」へ花を供えられました。

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