2016年01月12日 23:59
戦争が終わり、或る兵士が除隊してすぐ、
お伊勢参りをしたのだそうです。
実際に人を殺したことはなくとも、
毎日、敵を殺すことばかり覚悟して生きてきた青年でした。
伊勢神宮の内宮前の砂の上に膝まづいて、
悔しいような、恥ずかしいような気持ちで、
祈るといわず、ご託宣を乞うたのだそうです。
戦争中、何度もなんども、
合言葉のように、必ず神風が吹くという話を聞いていたが、
あれはなんだったのか・・・。
これほど多くの人が死んだ戦争とは、なんだったのか・・・。
これから先、こんな私はどうやって生きていったらよいのか・・・。
聖なるしじまの中で、悶々と考えながら祈ったのだそうです。
しかし、
神は、なにもお応えになってはくださらない。
神よ・・
あまりにもつれないじゃありませんか・・・
こんなとき、なにか言ってくださいよ・・・。
「あまりにも しづけき神ぞ 血ぬられし 手もて贖ふ すべををしえよ」
そのときに、岡野弘彦さんが詠まれた歌です。
ですから、
わたしが如き不信心者に、神も仏もお応えくださらないのは、
当然のことといったら、当然のことなのです。
お伊勢参りをしたのだそうです。
実際に人を殺したことはなくとも、
毎日、敵を殺すことばかり覚悟して生きてきた青年でした。
伊勢神宮の内宮前の砂の上に膝まづいて、
悔しいような、恥ずかしいような気持ちで、
祈るといわず、ご託宣を乞うたのだそうです。
戦争中、何度もなんども、
合言葉のように、必ず神風が吹くという話を聞いていたが、
あれはなんだったのか・・・。
これほど多くの人が死んだ戦争とは、なんだったのか・・・。
これから先、こんな私はどうやって生きていったらよいのか・・・。
聖なるしじまの中で、悶々と考えながら祈ったのだそうです。
しかし、
神は、なにもお応えになってはくださらない。
神よ・・
あまりにもつれないじゃありませんか・・・
こんなとき、なにか言ってくださいよ・・・。
「あまりにも しづけき神ぞ 血ぬられし 手もて贖ふ すべををしえよ」
そのときに、岡野弘彦さんが詠まれた歌です。
ですから、
わたしが如き不信心者に、神も仏もお応えくださらないのは、
当然のことといったら、当然のことなのです。
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