軍神の言葉

2015年12月08日 04:44

高橋赫一

去年8月、
大分県宇佐市の宇佐市平和資料館を訪れた折、
高橋赫一少佐の書を見つけました。

高橋赫一少佐は、徳島県で生まれた人ですが、
宇佐海軍航空隊に所属していました。

“世界一の航空母艦”「翔鶴」の飛行隊長に任命され、
真珠湾攻撃の際に、第一撃を放ったパイロットとして、
連合艦隊司令長官・山本五十六から感謝状が授与され
“軍神”と崇められた人です。

しかし、
1942年(昭和17年)5月8日の珊瑚海海戦で、
アメリカの空母「レキシントン」を攻撃した後に、
アメリカ軍の戦闘機に撃墜され戦死。享年36。
特進して、最終階級は海軍大佐でした。


その高橋赫一さんのご子息である高橋赫弘さんの証言が、
毎日新聞の「千の証言」に載っています。

高橋赫弘さんが8歳だった真珠湾攻撃(日米開戦)の4ヶ月前の8月、
帰宅した父・高橋赫一さんが語った言葉を鮮明に憶えていて証言しています。

中国人を蔑んだ発言をした子どもたちを諭しながら、
このように語ったのだそうです。

「君たちはすぐに支那をばかにするが、それはいけないよ」

「1937年(昭和12年)の盧溝橋事件を機に、
 日中の全面戦争に発展して既に4年。
 中国は敗れてもすぐに立て直し、戦を挑んでくる国だ」

「日本中の軍事施設、工場、大都市から順に爆撃され、大変なことになる」

「支那は本当は強い。
 その支那を片付けきれない日本が、
 今度は世界一金持ちの米英を相手にしなければいけなくなった」



敗戦後、
高橋赫弘さんたちのご家族は、「戦犯国賊だ」と罵られたのだそうです。
連合軍の占領政策で軍人遺族への恩給が一時停止され、
追い打ちをかけるように赫弘さんの母上が病に倒れました。

一家が困窮を極めた敗戦から6年後、
死の床にあった母上がこう言ったのだそうです。

「いくらお国のため、社会のためとおだてられても、
 お父さんのように家族を残して死んではいけないよ」




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