39年前の想い出

2015年11月21日 23:59

いまから40年前、
昭和の大横綱が、史上最年少の21歳2ヶ月で誕生しました。


現在の「目黒線」は、かつては「目蒲線」といいました。
目黒駅から大田区の蒲田駅までをつないでいたからでした。

ちなみに、
目黒駅は、山手線の駅名ですが、目黒区の駅ではありません。
所在地は、品川区上大崎です。

その目蒲線で目黒駅から一つ目の駅が「不動前」という駅です。
不動前で降りて商店街を抜け、緩やかな坂道を上ると交差点が在ります。
通称「目黒不動」と呼ばれる「瀧泉寺」の参道に入る交差点です。
交差点を右折して、なだらかな坂を下ると右側にお墓が在って、
その角に、わたしが住んでいたアパートが建っていました。

品川区西五反田、
所謂共同アパートで、四畳半にガスコンロだけ付いた2階の角部屋でした。
窓の外には墓地の借景が見えていました。

高校を卒業して、一度は家に入るも夏に家出して、
蒲田で新聞配達をしていた友人の部屋に世話になり、
新宿伊勢丹の地下に出店している会社に就職して世田谷の豪徳寺の寮に住み、
秋には退社して、下北沢駅で偶然に遇った農大生の友人のアパートに上がり込み、
年明けに配膳の仕事で小金を貯めて引っ越したのが、そのアパートでした。

家賃は、確か一ヶ月6千500円だったと思います。

最初の配膳の仕事は、羽田空港の国内線ターミナルに在ったレストランでした。
目蒲線で蒲田まで行き、バスで羽田空港へ通いました。
浜松町からモノレールで通うより、少しだけ安かったからでした。

仕事は、レストランのウェイターでした。
職場は、暴走族あがり、万引きの常習犯、ホモ、定年退職した元・部長、エトセトラ、
色々な人間のるつぼでした。

まだ19歳になったばかりで、
煙草を吸って、安酒を飲んで、小説を持ち歩いて読んでいた時代でした。

そんな或る日、羽田空港のレストランに横綱がやってきました。
前年に史上最年少で横綱になり、1月場所でも優勝して話題でした。

横綱というのは、
力士の最高位の称号であるだけでなく、神の依り代と謂われています。
つまり、21歳で神の依り代になっちゃった人です。

オーダーはわたしが受けましたが、何を注文されたか憶えていません。
憶えているのは、圧倒されるくらい大きな横綱の背中でした。
テーブルが、おままごとのテーブルのように小さく見えました。

当時のわたしの体重は50キロ程度だったのですが、
横綱の体重は160キロはあったでしょう。

年齢差は3つですが、年齢差や体重差以上に、
その存在感は、天と地ほども違いました。
なんせ、神の依り代になっちゃった人ですから。

わたしは、いまだに地上を這いつくばっておりますが、
横綱は、当時22歳にして既に雲上の人でありました。
横綱在位記録が63場所で歴代1位だそうです。

ご病気だったそうですから仕方がありませんが、
生き急がれたご生涯だったような気もします。

きょうは、
元・大横綱北の湖関の突然の訃報に接し、
なんだか寂しくて仕方がありません。

それで、むかしのことを想い出して記しました。


合掌





スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://coachhide.blog73.fc2.com/tb.php/2559-633ebaf2
    この記事へのトラックバック


    最新記事