伊藤伝右衛門

2015年11月13日 23:59

柳原白蓮の生涯展

池袋西武本店で催されている「柳原白蓮の生涯展」に行ってきました。


ところで、話しは変わりますが、
現在放送中の朝の連続テレビ小説「あさが来た」では、
明治維新で傾いた事業を立て直すべく、九州・筑豊の炭鉱事業に参画した主人公が、
自ら炭鉱町に乗り込んで、気性の荒い坑夫らと渡り合っているという場面です。

1884年(明治17年)頃、主人公のモデルになった広岡浅子が、
実際に筑豊の炭鉱に乗り込んだときには、懐にピストルを忍ばせていたといいます。

明治という時代は、日本の産業革命の時代です。
明治維新を経た19世紀の終わり頃、炭鉱業や紡績業が盛んになりました。

炭鉱から掘り出された石炭は、エネルギー源として燃やされ蒸気を作りました。
その蒸気を利用して、船や機関車の動力にしました。
蒸気は、紡績の機械も動かし、蒸気船や蒸気機関車がその製品を運びました。

石炭が、明治という時代を動かしていたのでした。
その石炭を掘り出していたのが、坑夫たちだったのです。

そんな明治の時代が終わろうとしていた1911年(明治44年)、
柳原白蓮もまた、九州の炭鉱王と謂われた伊藤伝右衛門と再婚し、
筑豊に嫁いだのでした。

後の1921年(大正10年)に、
所謂、白蓮事件と呼ばれる駆け落ちをして伊藤伝右衛門と別れるまでの10年間、
裕福ながらも不幸な結婚生活を送っていた宮崎燁子は、
歌人・柳原白蓮として花を咲かせ、“筑紫の女王”と呼ばれました。

白蓮事件は、
姦通罪のあった時代の駆け落ち事件でしたが、
元・華族で炭鉱王の妻で歌人であった女性と、
革命家の宮崎滔天を父にもつ社会運動家で弁護士の男性が起こした事件でした。

一方で、
妻の夫は、無学ながら一代で炭鉱王となった伊藤伝右衛門です。
当時のマスコミが放っておかなかったのも無理はありません。

大正の三大美人の一人にも数えられたほどの美貌をもつ白蓮の恋愛と、
野卑な伊藤伝右衛門を比べれば、どうしても白蓮に民衆は肩入れします。

ですからどうしても“悪役”を担ってしまった伊藤伝右衛門ですが、
白蓮事件以降、「一度は惚れた女ったい」と云って、
伊藤家の一族に「末代まで一言の弁明も無用」と言い遺し、
白蓮に対する一切の非難も弁明も許さなかったのだそうです。

学はなくても伊藤伝右衛門
一代でヤマを束ねて炭鉱王になっただけあって、器の大きな人です。

モチロンそれは、
柳原白蓮が、人間的にも女性としても魅力的だったからでしょうが・・。

柳原白蓮の生涯
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