シシュポスの岩の楽しい運びかた

2015年10月04日 18:03

シシュポス

ギリシャ神話に “ シシュポスの岩 ” という話があります。

狡猾な男シシュポスが、地獄(タルタロス)に墜とされました。

シシュポスは、地獄で山の上まで岩を運ぶ責め苦を負わされますが、
苦労して岩を山の頂上まで運ぶと、岩は山の麓までころげ落ちてしまいます。

そこでまた麓から岩を運ぶのですが、岩は山頂に運ばれた途端に
またころげ落ちるといった具合で、永遠にこれを繰り返すことになります。
これがシシュポスが受けた罰だったのですが、
目的がない徒労の苦役が人間にとって一番の拷問だろうという話でした。

しかし、
ギリシャ劇の授業中だったと思いますが、この話を聴いたときに思いました。

「この岩運び、考えようでは楽しめるかもしれない」

・さっきより早く岩を運ぶ努力をしてみる。
・どれだけ労力を使わないで運べるか試してみる。
・一度に二つの岩が運べないか考えてみる。

このように、その作業をする目的がなくても、
作業そのものを目的化することはできるのではないか、
また、そんな目的やこだわりや楽しみがない作業というものは、
たとえどんなに目的が明確であっても、続かないのではないか、
そう思いました。


きょう、
或る事情があって、スポーツ紙掲載の性風俗専門の広告代理店に転職し、
性風俗店から広告を取る営業の仕事を始めた友人の話を聴きました。

一日百件以上の性風俗店に電話をかけるのだそうですが、
アポイントが一つも取れない日もあるのだというのです。

もしアポイントが取れ、お店を訪問したとしても、
広告掲載には結びつかず、無駄足になることが多いと云うのでした。

その友人の話だと、
お店の経営者や従業員には、クセのある人が多くて、
度々イヤな思いもするのだそうです。

また、
「どうして、こんな店に客が集まるのか解らない」
と思うような趣のお店もあるのだと云うのでした。

事程左様に、
その友人にとってその仕事は、「シシュポスの岩運び」なのでしょう。

興味も持てず、意味も理解できず、創意工夫もしなかったら、
その仕事は苦役でしかありませんし、それは拷問のようなものです。

確かに、目的は一件でも多くの広告を取ることですが、
話を聴いて、営業の仕方そのものだって目的化できるんじゃね?と思いました。

なにも得られないのに作業を目的化するなんて、
「無駄なこと」だとおっしゃる方もいるかもしれませんが、
電車に乗ると、大勢の人たちがスマホを手に何らかのゲームをしています。
あれって、なにかの目的を達成するためにやってるんですか?

わたしから見たら、
あれは、シシュポスの岩運びを楽しんでいるように見えます。



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