「あさが来た」

2015年09月28日 23:06

「あさが来た」

まご娘が毎朝楽しみにしていた「まれ」が終わって、
新しい連続テレビ小説「あさが来た」が始まりました。


ところで、
日本で初めて、女子の大学が創立されたのは、
1901年(明治34年)のことだったのだそうです。

それは、
女子高等教育の第一人者、成瀬仁蔵先生によって、
「女子を人として、婦人として、国民として教育する」
という教育方針を掲げて創立されました。

それが、現在の日本女子大学です。

我が家から歩いて5分ほどの場所に在りますが、
その目白台の土地は、当時の三井財閥から寄贈されたものでした。

それが、連続テレビ小説「あさが来た」の主人公
「あさ」のモデル・広岡浅子女史の尽力によるものだったのだそうです。

成瀬仁蔵先生と広岡浅子

1905年、建設中の日本女子大学豊明館前での評議員の記念撮影。
後列左から、成瀬仁蔵広岡浅子村井吉兵衛塘茂太郎
前列左から久保田譲森村市左衛門森村菊子大隈重信西園寺公望


日本女子大学は、「本女(ぽんじょ)」と略称で呼ばれます。

我が家では、
亡くなった母も、かみさんも、かみさんの姉も本女(ぽんじょ)の付属に通いました。
息子たちも、保育園と幼稚園は本女(ぽんじょ)の付属でした。

ですから、
我が家では、「先生」といえば「成瀬仁蔵先生」を指すことがありますが、
成瀬先生と同じくらい日本女子大学にとって大切な創立者が、
「あさが来た」のモデル・広岡浅子女史です。

女性に教育は不要と謂われていた幕末・明治の時代、
参政権さえ認められていなかったそんな時代に、
“女だてら”に、炭鉱事業や銀行経営に手腕を振るった
女性実業家・広岡浅子

いまでは、言葉は当たり前になった“女性の自立”、“男女平等”ですが、
いまだに、政権が日本の成長戦略として“女性が輝く日本”をつくるために、
「待機児童の解消」「職場復帰・再就職の支援」「女性役員・管理職の増加」
などという政策を謳うことからも判るように、“男女が同等に扱われる社会”は、
114年経った現在でも実現していないようであります。

わたしの家庭では、とっくに実現されているんでありますが・・。 



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