究極の一言 ②

2015年06月05日 21:10

祖父

「開墾から10年経って黒字化するなんて、できるわけがない!」

祖父の、その言葉が父のモチベーションに火を点けました。
その祖父を見返したい一心で、励んだのだといいます。

みかんは植えてから4年後に実をつけますが、
当時の技術では、初めて実ったみかんの実は、
総じてそうか病にやられてしまって、
ゴツゴツした売り物にならない実をつけてしまうと謂われていました。

それに、
仮に売れる実を採ったとしても、
開拓を始めてから10年で、投下した資金を回収し黒字化するなんて、
絶対に不可能な“ホラ話”であったと思います。

土地代金、開拓にかかった費用、みかんの幼木購入費、栽培経費、
それらを全て償還して、収益で翌年の経費を賄うという黒字化は、
少なくとも20年かかるというのが常識だったのです。

しかし、それではみかん農家は開墾ができません。
みかんの生産農家は増えず、みかんの値は高騰したままです。


さて、
結論を申せば、父はその目標を達成させたのでした。

その要点は二つあります。

まず、開墾時の機械化であります。
要するに、今では当たり前の重機を使った開墾を行ったのです。
それは、「ブルトーザー開墾」と呼ばれました。

次に、密植栽培法を編み出したことです。
それまで、みかんの植え方は10アール当たり75本でした。
それを、父はその4倍の300本見当のみかんの樹を植えました。

4年後に、みかんは実をつけましたが、そうか病は出ませんでした。

そして、土地面積(1.5ヘクタール)を最大限利用した収穫量でした。
当然、樹が大きくなって広がるにつれて樹を間引くことになりますが、
その間、収穫量は一定化され、最初から成木と同程度の収量が確保できたのです。

この技術が、当時の日本のみかん農家に普及しました。
それによって、九州各地のみかん生産地などが生まれたのです。

しかし、
父がその目標を達成したとき、祖父はもう此の世から旅立っていました。


わたしは、せせらぎを聴きながら、
壁にかかった祖父や祖母、曽祖父の写真を見て思っていました。

「できるわけがない!」あの祖父の言葉は、
自分の息子がどんな人間かをよく解った上で放った、
究極の一言だったのではないか・・。

父が、そして母やわたしたち兄妹がどれだけの苦労を味わうか、
痛いほど判っていた祖父が、寡黙な祖父が、あえて励ましたりするより、
父を挑発することで奮起させようとして放った一言だったのではないか・・・
そんな風に思いました。いや、きっとそうだったのだと確信しました。

祖父にとっても、息子にとっても、解りやすい人であります、父は。


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