三里塚闘争の轍

2015年05月20日 23:59

昨日、朝早く、
ロサンゼルスに住んでいる息子が帰国しましたが、
日常的に、海外への行き来に使っている成田空港
正式には、「成田国際空港」ですが、
開港当時は、「新東京国際空港」といいました。

わたしたちの世代にとって記憶に新しいのが、
成田空港開港反対運動であった三里塚闘争成田闘争)でした。

羽田空港の許容量がいっぱいになり、
佐藤栄作政権下、新たな空港建設予定地を
千葉県成田市三里塚に閣議決定しました。

戦時中に満蒙開拓団だった人々が帰還して入植した
開拓地だったこともあり、せっかく農地として成り立った矢先に、
飛行場予定地として手放さなければならないことへの反発もあり、
飛行場の騒音も問題視され、一部の農民たちに反対運動が起こりました。

それに、新左翼の活動家たちが連帯したこともあって、
運動は闘争へと変化し、ゲリラ戦の様相を呈し、
活動家と警察双方に死者も出る事態となってゆきました。

いま、成田空港を使うときに、
そのことを思い出す人は、どれだけいるでしょう?

きょうは、
その成田空港の開港記念日なのだそうです。


わたしはいつも、
沖縄の普天間基地の辺野古移設反対の運動を見ながら、
三里塚闘争の轍を踏まないように願っています。

反対運動は、ウチナーンチュ主体の運動であってほしいと思います。
ナイチャーが支援・応援することは大いに結構だと思うのでありますが、
ウチナーンチュを差し置いたり、飛び越えたり、はたまた扇動したら、
沖縄の運動ではなくなってしまいますから。


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