もしかしたら・・

2015年05月15日 21:21

Sato_and_Nixon_1972.png

太平洋戦争末期、
沖縄にアメリカ軍が上陸侵攻して、地上戦が行われました。

沖縄県平和祈念公園に設置されている石碑「平和の礎」の記述によると、
沖縄戦前に沖縄の人口は59万人であったのが、14万9.035人が戦死し、
実に沖縄の人口の4人に1人が亡くなりました。
沖縄戦の日本人犠牲者の総数は24万383人)

終戦後も、沖縄はアメリカ軍に占領されつづけ、
アメリカ軍の軍事拠点である“太平洋の要石”として、
土地は強制的に収用され、大規模に強化されたアメリカ軍基地から、
朝鮮半島やベトナムに向けて爆撃機が飛び立ちました。

その間にも、アメリカ軍基地は拡張しつづけ、
更にアメリカ軍兵士による事故や事件が頻発し、
沖縄住民の死亡者や犠牲者が相次いでいました。

そして、「沖縄県祖国復帰協議会」が結成され、
1971年に日米の間で「沖縄返還協定」が締結され、
1972年5月15日、 沖縄は27年ぶりに日本に復帰しました。

しかし、
基地は返還されないまま、危険と騒音が残され、
県民が望んでいた本土並みの所得水準も、
47都道府県中最下位の状態が、近年までつづき、
現在でもワースト2位です。(最下位は高知県)

いまだに、
基地の危険に曝され、 アメリカ軍兵士が起こす
事故や事件は後を絶ちません。

そして、
沖縄県民の総意と受け取るべき、
普天間基地の辺野古移設反対の民意も、
現政権に無視されようとしています。

そういえば、
沖縄の人々が日本への復帰を望んでいたあの頃、
同時に沖縄の独立を目指す人々もいたといいます。

歴史に、もし・たら・ればはないかもしれませんが、
沖縄の将来には、“もしかしたら”があるかもしれませんよ。



スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://coachhide.blog73.fc2.com/tb.php/2364-a885cbb7
    この記事へのトラックバック


    最新記事