ラムネさん

2015年03月21日 19:06

2年前の2013年3月14日、
わたしの亡くなった母の、本家の伯母が亡くなりました。

伯母は、祖母と祖父と伯父を看取って、
孫や曾孫に囲まれて、94歳の天寿を全うしました。

その伯母が亡くなった日、
伯母の想い出を、このブログに書きました。

仲がよかった伯父との様子や、
里帰りしたわたしたちに振舞ってくれた鮪の刺身の美味かったことなどです。

そして、伯母のことに絡めて、
むかし本家が在った静岡県清水市の興津という町のことを書きました。
現在では、静岡市清水区興津云々という地名になっています。

すると、
そのブログに「ラムネ」さんという方がコメントをくださいました。

ラムネさんは、興津のご出身でした。
興津の町のことをネットで調べていらして、
わたしのブログ記事に出合われたようでした。

最初は、わたしの母の実家のつくりが、
京都の町屋風の奥に長い構造だったという描写に反応され、
ラムネさんのご実家と同じようだという話題になりました。

次にわたしが、「ご実家は、興津のどの辺りでしょう?」と訊くと、
「私の実家は、清見寺近くにあります。 鋸を造ってます」
という返信がありました。

そこで、今度はわたしが反応しました。
「もしかしたら・・、柑橘専用の剪定鋸で有名なお宅ではないですか?」

すると、
「 実家は昭和の初めからミカンなどの剪定用の鋸を造っています。
“鍛冶屋のうち”と呼ばれてます。家業は明治以前にさかのぼります 」
というお返事が届きました。

どんぴしゃり!当たりました。
そんなラムネさんからのコメントを頂いたのが、
2年前の今時分のことでして、それを思い出しました。


さて、
ラムネさんのご実家は、「小川梅吉製鋸所」と謂いまして、
その世界では、大変に有名なお店なのであります。

その世界というのは、どの世界かと謂いますと、
果樹産業界と謂えばいいでしょうか、特に柑橘業界のことであります。

「小川梅吉製鋸所」
は、天保年間(1830年代)に鉄砲と丸鋸の製造を始めたという古いお店ですが、
六代目の頃から果樹剪定鋸の製造を始めます。

興津には、農林省の果樹試験場が在りました。
全国各県一名ずつ、県知事が推薦する者しか入れないという
各県の要請を受け、国の威信をかけて技術者を養成する機関でした。

軍隊で謂えば、陸軍中野学校のようなものでしょうか。

その果樹試験場が興津の町に在ったことが、
たぶん「小川梅吉製鋸所」の製品が全国区になった所為だと思います。

興津の果樹試験場を出て技師になった、わたしの父は、
徳島県の試験場に勤めましたが、一念発起して開拓農民になりました。

ですから、わたしの実家の作業小屋にも、
「小川梅吉製鋸所」の剪定鋸が何本も有りました。
わたしも、むかし腰に下げて働いていました。


父の時代、興津の果樹試験場を出た人たちは、
戦争に負けたこの国を、豊かにするのだという目標をもっていました。

食糧が無いときから、イモや豆のデンプン農業を経て、
タマゴや肉といったタンパク農業へ、そしてそれが満たされ、
野菜と果物といったビタミン農業に供給が移ってゆきました。

父たちは、
果物がふんだんに食べられる世の中を創る夢をみていました。
それは、豊かで平和な国が築かれたことを指していたはずです。

そういった志を抱き、興津の果樹試験場を出た若者たちは、
日本中に分かれ、技術者になり生産者になり、各地に産地を創ったのでした。

その人たちのお陰で、これだけ豊かに果物が生産されるようになりました。

そして、
その人たちの腰にはいつも、
ラムネさんのご実家の、「小川梅吉製鋸所」の剪定鋸が吊るされていたのです。


伯母の死をキッカケに頂いた、ラムネさんとのご縁でした。


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コメント

  1. 三浦秀和 | URL | cwiuqksw

    Re:ラムネさん

    ラムネさん

    お久しぶりです。
    コメントをありがとうございました。
    書いたタイミングで、よくお読みくださいました。

    さて、曽祖父様のお写真、拝見してみたいものです。
    それにしても、むかしの興津は別荘地だったようですが、
    むかしの景色を見れば、それも納得がゆくでしょうね。

    ところで、
    3年前に連日母の実家のルーツについて記したブログがあります。
    お読みいただけるとまたなにか接点が見つかるかもしれません。
    もしよろしかったら。

    http://coachhide.blog73.fc2.com/blog-entry-1187.html

    三浦秀和

  2. ラムネ | URL | -

    Re:ラムネさん

    こんにちは。
    久しぶりにコメントします。
    実家のことをとりあげていただき、ただただ恐縮です。ありがとうございます。
    私の曽祖父梅吉の代に建てた別荘(明治41年完成)を一昨年に取り壊しました。
    完成祝いの時に写したらしい集合写真があるのですが、屋号を染め抜いた法被を着たイナセな梅吉さんが中央にどっかと座っています。
    興津は海岸側に別荘を持つ家が多く、わが家もその別荘を人に貸していました。
    海から離れていますが、果樹試験場近くには伊藤博文の養子の別荘がありました。三浦さんのお父さんはその別荘を見たことがあると思います。(残念ながら今はありません。)
    何十年も前に試験場で学んだという方が今もお店にいらっしゃいます。
    みなさん、試験場の卒業生であることを誇りとしておられます。
    興津から日本農業のリーダーが育っていったことは、とても光栄なことです。

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