「リンゴの唄」

2015年03月06日 23:59


SP盤復刻による懐かしのメロディ 並木路子/リンゴの唄SP盤復刻による懐かしのメロディ 並木路子/リンゴの唄
(2011/09/22)
並木路子

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先日、Facebookで昭和歌謡について話題になりました。
そこで、思ったことを書いてみようと思います。

リンゴの唄」、「東京ブギウギ」、「青い山脈」、
それから、「憧れのハワイ航路」・・・

これらの歌は、すべて戦後の代表曲です。

戦災の焼け跡のなか、食べるものがない時代に、
日本人たちを励まし、未来を明るく照らした歌です。

わたしは、最近カラオケに行きませんが、
これらの唱歌は、わたしの十八番です。

なぜ、戦後11年経って生まれたわたしが、
これらの歌を唄えるのか自分でもよく判りませんが、
若いときから、カラオケに行くと唄っていました。

それはそれでウケるのですが、
何故か、涙ぐんで唄っている変な奴でした。

特に「リンゴの唄」は、・・・アレ、なんでしょうね?
唄いだした途端に、胸が苦しくなって涙が溢れちゃうのです。

リンゴの唄」は、
1945年(昭和20年)、戦後の映画第1作である松竹映画
「そよかぜ」(昭和20年10月10日公開)の挿入歌でした。

リンゴの唄」は空前の大ヒットを飛ばし、この歌は歴史になりました、

作詞はサトウハチローさん、作曲は万城目正さん、
歌ったのは、並木路子さんと霧島昇さんでした。

この歌をレコードにするとき、作曲の万城目正さんが、
並木路子さんに「明るく歌うように」指示をしたのだそうです。
しかし、戦争で父と母と兄と恋人を亡くしていた並木さんは、
とてもそんな明るい気分にはなれなかったのだそうです。

しかし、
作曲家の万城目正さんに「上野に行ってみなさい」と促されます。
上野で並木さんは、戦災孤児たちが懸命に生きる姿を目にします。
「辛いのは自分だけではないんだ」と悟った並木さんは、
あの心躍るような明るい歌声で唄ったのだというのです。

だからこそ、泣けてくるのでしょう。
前奏が聴こえてきたときから、そんな戦後の様々な風景や
懸命に一所懸命に生きていた、いろいろな人々の様子が、
そして、そんな歌を知らずに亡くなられた多くの人たちのこと・・、
それらがイメージされるのです。

そんな歌だからでしょうか。
阪神・淡路大震災のあとで、また、東日本大震災のあとで、
この歌が、被災した人々を慰め、励ましたと聞いたことがあります。


わたしは、
生れてきたのが数十年遅かったんじゃないかと、よく謂われます。

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