石松の最期

2015年02月18日 23:54



一昨日は、
三方ヶ原の戦いで、武田信玄軍が本陣を据えた丸山のことを書きました。
その丸山、現在の都田丸山緑地の近くに、稲荷神社が在ります。

きょうは、その稲荷神社の言い伝えを書こうと思います。

わたしは、小さい頃から“お稲荷さん”と呼んで親しんでいましたが、
浜松のテクノポリスの開発によって、お稲荷さんの周囲も変貌しました。

ですから、
最近の人々は、このお稲荷さんにまつわる伝説をご存知ないでしょう。

さて、
最近では、浪曲浪花節)をお聴きになる方も少ないでしょうが、
浪曲の定番に、「清水次郎長傳」というシリーズがあります。

清水次郎長傳」は、二代目広沢虎造の名調子が有名ですが、
元は講談として語られいたものに、山岡鉄舟の世話で清水次郎長の養子になった、
天田愚庵という人が、次郎長から訊いて記した「東海遊侠伝」の内容が加えられ
清水次郎長傳」という浪曲になったのだそうです。

その「清水次郎長傳」のなかに、
石松金毘羅代参
石松三十石舟道中
石松と見受山鎌太郎
石松と都鳥一家
石松と七五郎
閻魔堂の騙し討ち
お民の度胸
石松の最後
といった、一連の森の石松のエピソードがあります。

妻を亡くしたばかりの次郎長の代わりに、讃岐の金毘羅へ代参した森の石松が、
清水への帰路、草津追分の貸元、見受山の鎌太郎から預かった次郎長への香典
百両を都鳥の吉兵衛に貸してしまいます。

そんな人の良さが禍して、森の石松都鳥の吉兵衛にだまし討ちに遭い
森の石松は、清水に還ることなく客死してしまったのでありました。

話の前置きが長くなりました。

つまり、丸山の麓に在るお稲荷さん(稲荷神社)ですが、
浪曲では、石松都鳥一家に殺されたのは閻魔堂となっておりますが、
本当は、お稲荷さんで石松が殺されたというのが、土地の伝説であります。

さぁ、丁度時間となりました。ちょと一息願います。
また口演仕る~。

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