丸山

2015年02月16日 20:36



一昨日も、
我が故郷、浜松市の北部に広がる三方原台地のことを書きました。

徳川家康軍と武田信玄軍が戦った、
三方ヶ原の戦いが行われたと謂われている三方原台地ですが、
東西約10km、南北約15kmからなる広大な台地です。

その三方原台地の何処で、三方ヶ原の戦いが行われたのは、
祝田の坂」という場所だったであろうと謂われていますが、
諸説あって、よく判ってはおりません。

しかし、
武田軍の本陣が据えられていたのは、
三方原台地の北の端、都田に在る「丸山」という山だったようです。

わたしが、それを初めて知ったときには、驚きました。
丸山は、私の実家から極めて近く、馴染みのある山の名だったからです。

私の実家は、丸山から東に直線で約2kmの場所に在ります。
みかんの専業農家を営んでいますが、父の代で入植した開拓農家です。

父が入植した昭和33年当時、
この一体で開墾を始めた入植者たちで開拓部落が形成されました。
入植当初、わたしの家は、丸山から東へ300mほどの場所に在りました。

赤いトタン屋根の家でしたが、伊勢湾台風のときに屋根が飛ばされてしまい、
丸山から東へ約2kmの場所に建てたブロック構造の家に移ったのでした。

丸山も、開拓民の土地でした。
いまでは、東側半分だけがみかん農園として残っているようですが、
西側は、都田丸山緑地という公園になっているようです。

丸山は、
三方原台地の北端に位置し、緩やかな丘陵を形成している山です。
山の上から一望できる平らな土地は、台地の南端まで見通せるハズです。

本陣を構えた場所として、
武田信玄軍にとっては、敵を見据える絶好の場所だったのではないでしょうか?

そんな古戦場も、
戦後には、開拓地となって多くの開拓農民が入植しました。
そして、いまでは北側には新東名高速道路が開通し、
三方原台地は、最先端技術産業を中核とした企業が誘致され、
その周りに住宅地を併せ持つテクノポリスが拡がっています。

丸山は、
武士(もののふ)と、開拓農民たちの夢の跡なのです。

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