しかみ像

2015年02月14日 23:59

しかみ像

過去や歴史に「もし・たら・れば」を言っても詮無いことですが、
「もし・たら・れば」を想像してみたくなるのも、歴史というものでしょう。

わたしが育った土地は、
浜松市の北部に広がる三方原(みかたばら)台地に在りました。

三方原は、織田信長徳川家康の連合軍が武田信玄軍と相見えた、
三方ヶ原の戦いが行われた古戦場です。

三方ヶ原の戦いで大敗し、浜松城に逃げ帰った徳川家康が、
自らを戒めるために描かせたという恐怖顔の肖像画(しかみ像)が有名です。

そんな自省するメンタリティーの所為かどうか判りませんが、
裏切ったり裏切られたり、下克上なんて当たり前、
群雄割拠する、なんでもアリの戦乱の世を治めたのは、
結局は、徳川家康でした。

ところで、
桶狭間の戦いで、今川義元を討ち、
足利義昭を追放して、室町幕府を滅ぼし、
比叡山を焼き討ちにし、
長篠の戦い武田勝頼軍に勝って武田家を滅ぼし、
四国・中国地方も手中に収めようとした織田信長
なんでもアリ!自分は神だと思っていたのではないでしょうか?

そんな織田信長ですが、
ここからが「もし・たら・れば」であります。

もし・・、あの明智光秀が謀反を起こしていなかったら・・
本能寺織田信長が死んでいなければ・・
果たして、徳川家康が天下を獲った江戸時代は実現したでしょうか?

その意味では、
明智光秀織田信長暗殺は、歴史的大転換事件だと言えるでしょう。

さて、「驕る平家は久しからず」と申します。
自らを省みることなく、驕る政治を行う者は、お気をつけあそばせ。

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