母の眼鏡

2015年01月11日 23:59

わたしの母は、わたしが小さいときから眼鏡をかけていました。

ですから、亡くなったとき、
病院から自宅に戻った母に、わたしが死に化粧を施したのですが、
薄化粧を施し、目を閉じている母に眼鏡をかけました。

伯父や叔母にとっては、
若い頃の眼鏡をかけていない母の顔に想い出があったようで、
目を閉じている顔に眼鏡は変だと申しましたが、そのままにしました。

このように、わたしにとって母の眼鏡は母の一部でした。

さて、わたしが子供の頃のことですが、
友だちに母が眼鏡をかけていることをからかわれたことがあります。
眼鏡をかけている女性など大勢いたハズなのに、何故か揶揄されました。

そのことが、妙に悔しかったのを憶えています。

いまにして思えば、教師の娘として清水の町で育った母は、
農村にあっては少々垢抜けていたのかもしれません。
子どもは、そんな感覚をからかうことでしか言葉にできなかったのかもしれません。


このように、
他人の身内のことをワルク云ったり、他の家のご先祖様を悪し様に云うのは
戒められてよいことでしょう。

実際には、
飲んだくれの暴力亭主がいて、そのおかみさんや子供たちが不幸な場合もあるでしょう。
しかし、それを他人が解決することは難しいと知るべきです。

黒澤明監督の映画「どですかでん」は、山本周五郎の「季節のない街」が原作ですが、
その中のエピソードの一つに、冴えないサラリーマンの悪妻が登場します。
或る日、部下を連れて家に帰ったサラリーマンでしたが、
あまりにもヒドイ悪妻ぶりに、部下たちがサラリーマンに忠告します。
すると、普段は大人しいサラリーマンが烈火の如く怒って、
部下たちを家から追い出してしまうという話です。

その家庭の事情は、他人には解らないことがあるものです。

ところで、
或る国で、相次いだ銃撃事件は凄惨なものでした。

いかなる場合であっても、
わたしは、暴力をもって主張することを支持しませんが、
事件の原因の一つに挙げられている“風刺画”に関しては、
それに対する“反感”が、わたしにも理解できます。

“風刺”が、その国の文化だと云う人もあるようですが、
“ウィット”は、アメリカンジョーク、イギリス風のユーモアなどと並んで文化でしょうが、
しかし、あの風刺画は、“ウイット”だと云えるのでしょうかねぇ?

宗教的には曖昧で、八百万の神々を信奉するわたしたち日本人だって、
手を合わせる存在や敬愛する存在を、とやかく言われたくありませんからね。

ましてや、
世界の多くの人々が、この世界で唯一絶対な存在である神の使い(預言者)を、
繰り返し風刺しちゃったんでしょ?

そりゃあ人々が怒ることも、理解できます。

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