2014年12月03日 23:59

わたしの母方の曽祖父の一人は、
徳川家の家臣だったのだそうですが、
京都所司代見廻組に就いてより、
鳥羽・伏見の戦いに始まった戊辰戦争という
近世日本史の修羅場を生き抜いた人でした。

曽祖父は、鈴木という家に生まれながら、
高田という家に婿入りして高田家を継ぎ、
妻子と死別してから、
当主と後継者を失った青木家の娘を娶って、
先妻の高田家と後妻の青木家を、共に継いだ人です。


さて、
「分」という言葉があります。

「分を弁(わきま)える」「分別(ふんべつ)」などというときの「分」です。

アナクロニズムと思われる向きもあるかもしれませんが、
いまだ日本人のメンタリティーに染み渡った概念です。

現代の、民主主義の原点となる「個」という考え方とは、
相容れない部分があるかもしれませんが、
いまの日本人も「忠臣蔵赤穂浪士)」が、大好きなんであります。

現代の「個」の考え方からすると、
「分」という概念は、解らないかもしれませんが、
実は、古来「個」を規定する規範が「分」という考え方でしょう。

曽祖父の生き様は、
その「分」という概念によって、理解することができます。


ところで、
その「分」を使う「大義名分」という言葉があります。

「分」は、“血”であったり、属する“コミュニティー”であったり、
“義理”であったり、主従、師弟、親子などの“立場”を捉えるための
基本的な考え方なのだと思いますが、「大義名分」と言った場合、
“血”を優先するとか、主従、師弟、親子の立場が優先されるとは、限りません。

「分」よりも、「大義」が優先される場合があるからです。


「“自分”とは、何者なのか?」
青年期から、誰もが自問することです。

「分」・・・
「名分」、「本分」、「分相応」、「分不相応」、「分を弁える」、
理解するのが、難しい時代になりました。


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