太宰治と山岸外史と山下肇

2014年10月05日 23:37


人間山岸外史人間山岸外史
(2012/11)
池内 規行

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我が家の近くに在る飲み屋のママは、本好きです。

作家で云えば、太宰治と、内田百閒がお好みなのだそうで、
モチロン二人の作品は全て読んでいるそうです。

しかし、
あまり小説は好きではなく、評伝を読むのが趣味なのだと云います。


一昨日のことでした。
新橋演舞場の「十月花形歌舞伎」の昼の部を観て、
神田雑学大学で「楽しい歌舞伎雑学」という講座を聴き、
夜遅く、その店の暖簾をくぐりました。

中年の男性や女性たちが艶話に盛り上がるなか、
カウンター奥の端席に着きました。

一人だけ話題に遅れ、浮いていたわたしにママが、
一冊の本を差し出しました。

池内規行・著「人間山岸外史」という本でした。

見ると、本に何枚もの付箋が貼ってあります。
「これってサ、お父さんのお兄さんでしょ?」
付箋に沿って開いた頁に伯父の写真が載っていました。

載っていた写真には、58歳だとキャプションに書いてありましたから、
伯父が、いまのわたしと同じ歳だった頃の写真です。

伯父というのは、
かみさんの父の長兄で、東京大学名誉教授でドイツ文学者だった、
山下肇のことです。

人間山岸外史」という本は、
太宰治の親友で、評論家でもあった山岸外史という人間に焦点をあてた評伝ですが、
山岸外史を描くことで、太宰治をはじめ、周囲の人たちの評伝にもなるという構造です。
そこで、山岸外史を通じて太宰治とも交流のあった、伯父・山下肇も登場するのでした。


当初わたしは、店の喧騒から逃げるために付箋を頼りに拾い読みしていましたが、
なかなか興味深い記述に、いつの間にか引き込まれておりました。

文学青年だった伯父は、学徒出陣で出征しました。
やがて敗戦を迎え、幸いにも生きて還ってきました。
戦後、戦没学生の手記「きけ わだつみのこえ」を刊行。
日本戰歿學生記念會「わだつみ会」を創りました。
職としては、東京大学の教師として1981年に定年退官するまで勤め、
その後に名誉教授となり、関西大学でも教鞭をとりました。

1909年生まれの太宰治
1904年生まれの山岸外史
1920年生まれの山下肇
年齢に開きはあるものの、文学を通じて交流のあった三人。

しかし、
「小説を書くのがいやになつたから死ぬのです」という遺書を書き、
壮絶な生き方を自死で終えた太宰治

太宰治の親友にして、太宰に影響を与えたほどの作品をもち、
天才と謳われながら、太宰とは絶交し評論家・詩人として生きた山岸外史

若くして山岸外史太宰治に親しく学びながら、
教師として、東大名誉教授の地位にまで上り詰めた、山下肇

その三人の生き方の違いを想った夜でした。

ちなみに昨日は、
伯父・山下肇の七回忌法要が執り行われました。

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