白蓮さんの歌

2014年09月01日 23:59

朝と昼に放送される連続テレビ小説の登場人物の
モデルになった女流歌人・柳原白蓮が話題です。

その白蓮さんが、大分県竹田市を訪れた際に詠んだ、
短歌の直筆色紙が見つかったという記事を、一昨日読みました。

白蓮さんの歌集に掲載されていない、新たな短歌の発見だそうです。

竹田市によると、
白蓮さんが1954年(昭和29)年9月29日に、
江戸時代の画家・田能村竹田(たのむら・ちくでん)の生家
「旧・竹田荘」を訪れた際に詠んだ短歌とみられるのだそうです。

記事には、
短歌には、「竹田にて」との前書きがあるそうで、詠んだ場所から云って、
「竹田(ちくでん)」を偲んで作ったのではないか、とありました。

 「見ぬ人も 恋しやいまも わが前に あるかとぞ思ふ 窓へのあたり」

この白蓮さんの短歌は、
竹田市の職員が、1982年発行の「ふるさとの思い出写真集・竹田」に、
この時の記念写真と短歌が紹介されているのを見つけ、
当時の新聞記事などを参照して撮影時期などを絞ってみると、
記念写真に一緒に写っていた女性のお孫さんが、神奈川県内に住んでいることが判り、
この短歌の色紙を持っていることも判明したのだそうです。
また、同時に書いたとみられる別の歌の色紙もあったという記事でした。

竹田市では、
これら3枚の直筆色紙や、白蓮さんの竹田訪問時の写真など十数点を
9月6〜28日、竹田市立歴史資料館で展示するのだそうです。

昭和29年といえば、白蓮さんは68歳だったはずです。
戦後、平和運動家として活動していた白蓮さんでしたが、
「悲母の会」を結成し、支部設立のために全国を行脚していたころでしょう。

もし、それで九州へ行ったのだとすれば、
あの出奔以来のことだったのではないでしょうか?
それだけ、気合を入れた活動だったのでしょう。


ところで、
我がかみさんの祖父・三角寛、本名・三浦守は、その竹田市で生まれました。

小学4年が終わったときから、
豊後大野市の最乗寺に預けられて、育ちました。

その最乗寺には、
柳原白蓮が投宿したときに詠んだという
自筆の歌が遺されているのだそうです。

たぶん、今回発見された短歌と同じ時期に詠まれたものでしょう。

「南無帰依佛 まかせまつりし 一筋乃 こころとしらば 救わせたまへ」

出来れば、行ってみたいものです。

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