理不尽

2014年07月25日 23:59

詳しくは書きませんが、
きょう、或る話し合いの場での、或る工学者の発言に驚きを隠せませんでした。

原発事故に因って、推定30万人の人々が避難を余儀なくされたことについて、
「それを “ 理不尽 ” だと云うが、事故が起これば避難しなければならないのは
 当然のことであって、 “ 想定 ” されたことが起きたに過ぎない」
と、概ねこういう内容の発言をされました。

或る国立大学の名誉教授でもあるらしい70歳代の工学博士氏は、
原発事故に因って起こった様々な現象を、 “ 理不尽 ” という言葉で
表現することに違和感をもたれるようでありました。

なるほど、数学や化学・科学・物理学・工学といった分野の方々は、
文学的な表現よりも、科学的な表現?を好まれるのかもしれませんね。

陽明学者・安岡正篤先生のご本のなかに、
「物識りより、物分かりが肝腎」という言葉が出てきます。

「知識」があるのは、物事の論理を知っているということですが、
「知識」だけでは、精神の形成には役立たないとおっしゃっています。
「知識」より、「見識(知恵)」更に「胆識(志)」という、「識」にも段階があること。
そして、「物識りより、物分かり」、つまり「真理」「道理」「情理」といった
「理(ことわり)」のほうが大切だよ、とおっしゃっているのです。

「理不尽」という言葉は、
「道理をつくさないこと。道理に合わないこと。また、そのさま。」と辞書にあります。

わたしは、
原発事故に因って起こった様々な混乱や損失や悲劇や恐怖は、
「理不尽」という言葉で表すことさえ生ぬるいと感じています。

まして「想定」していたか、「想定外」であったかの問題ではないでしょう。
「理不尽」とか「道理」という言葉を解さない人々が起こしたことが、
現在の福島の現実となっているように、わたしは思いました。

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