リアリティー

2014年06月11日 23:59

霧

♪ なにからなにまで、真っ暗闇よ 筋の通らぬことばかり・・

ご存知、鶴田浩二さんの「傷だらけの人生」という歌でございます。

昨日、この歌を、
演歌の大御所と謂われる、或る有名歌手が歌っているのを聴きました。

批判の対象にするつもりはありませんでしたが、
鶴田浩二さんの歌とは、比べようもありませんでした。

むかしの人だったら、
「所詮、戦争に行ってない人が歌ってもダメだよね」
と云うかもしれません。

歌の上手い下手ではなく、
その歌が醸し出すなにかが必要なのでしょう。


例えば、
志ん生志ん朝「明烏」を聴き比べると、
志ん朝のほうが、明晰で解りやすい噺です。

でも、やはり、
廓を知っている人の噺と、創られた噺は違います。
解り辛くても、志ん生の噺には醸し出されたなにかがあるのでした。
廓を知らないわたしたちが聴いても判る、なにかがあるのです。
登場人物たちの、生の息遣いを感じるような気がいたします。

惜しいかな、
いまでも志ん朝さんが生きていらしたら、
もしかしたら、そんな境地を味わえたかもしれません。


ところで、この理屈の延長線上には、
肉屋を描くには、本物の肉を舞台にぶら下げなければ、
という発想が生じますが、そういうことではありません。

リアリティーとは、
その芝居を観た観客の心が捉えたものが“本物”なのであって、
舞台に登場したものが、本物であったか偽物であったかではありません。

また、演者が経験しているかどうかでもありません。

それを云ったら、
人を斬ったことがない俳優のチャンバラはダメだという理屈になります。

でも、なんなんでしょう?あの「なにか」というものは・・・。


それにしても、
日常のほうが霧がかかっているようで、リアリティーがありません。


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