国民性

2014年04月21日 23:59

連日報道されている、お隣の国の海難事故のニュース。
ご家族のご心痛を思うと、こちらの胸も痛みます。

さて、相変わらず、事故の原因を分析している番組が多いですね。
原因分析も大事ですが、救出が最優先ですから、隔靴掻痒の感が否めません。

その原因ですが、
過積載と、コンテナや車の固定の問題が指摘されています。

また、フェリーと海上交通管制センター間の交信録音記録が公表され、
乗客の安全を優先したと思えない避難措置の怠慢が浮上してきました。

ところで、きょうは、その事を書こうと思ったのではなく、
今後、或いは既に話題になっているであろうことを記そうと思います。


「国民性」こう書けば、ご想像いただけるかもしれません。

或る意味で、
こうした痛ましい事故が起こったときに不謹慎かもしれませんから、
あらかじめ、ご不快の向きにはお詫びします。

書かせていただこうと思ったのは、
こうした事故に遭遇したときの、お隣の国民性と日本の国民性の、
様子や、感情の表し方や、行動の違いについてです。

違いがあると云っても、事前にお断りしておきますが、
どちらの国民性も、批判したり揶揄するつもりはありません。

ただ、その違いを目の当たりにして、考えさせられたのです。

全てが、国民性の所以かどうかも判りませんし、
どのような事情や背景があってのことかも解らないのですが、
家族を見舞った学校の校長や首相が罵られ水をかけられたり、
副校長が自殺したり、助けられた船員が自殺未遂を起こしたり、
海洋警察など当局の担当者が猛抗議を受けたり、
大統領府へ直接抗議に訪れようとする警官が怒鳴られたり、
大統領が罵声を浴びせられたり、
日本の場合なら、必ずないとも云い切れませんが、
お隣の国の事故に遭われた皆さんの様子は、特徴的だと思いました。

悲しみを全身で表し、声をあげて泣き、怒り、大声で怒鳴る。
それが、お隣の国の人々にとって当然の感情の発露なのかもしれませんし、
大声で泣くことで辛うじて保たれる、心の安定のさせ方なのかもしれません。
ですから、それを間違っていると云うつもりはないのです。

ただ、日本人とは違うなぁと・・・、
たぶん、多くの日本人たちと同じように、わたしも感じたのです。

そこで、思い出すのは、
大震災が起きたとき、首都圏で整然と並んで順番を待つ日本人たちの姿が、
海外に報道されて、話題になったことでした。

それは、日本人の美徳として扱われたのでしたが、
大震災と原発事故から3年以上の時が経ってまだ、避難生活をつづける人々。
遠く、いつになるか判らない“元の生活”に向かって望みをつなぐ人々・・。


以前、確か会田雄次さんのご本だったと思うのですが、
西欧と日本の母親たちを集めて、
我が子を守る姿勢を調査した結果について読んだことがあります。
西欧の母親のほとんどが、子供を背にして外敵に対峙したのに対して、
日本の母親のほとんどは、子供を抱え込んで外敵に背を向けたのだそうです。

例えば、
何十万人もの被災者が取り残されたかのような現状があるなかで、
原発ゼロだったはずの政策を転換させ、原発推進を明確に示して、
原発は重要なベースロード電源と位置づけたエネルギー基本計画が閣議決定・・

想像してみてください。
もしこれがお隣の国だったら、暴動が起こっているかもしれないようなことです。
たぶん、その政府は転覆してしまうでしょう。

日本人の美徳も貴重ですが、怒らない国民性、我慢強い国民性、
行動を起こさないで待っている国民性って、どうなんだろう?
そんなことを考えさせられた一件でした。

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