武士のお茶

2014年03月13日 23:59

日本文化を愛でる会

久しぶりに、
かみさんが主宰する「日本文化を愛でる会」に参加しました。

きょう、講師を務めてくださったのは、
静岡県牧之原市で、自家製園でお茶を作り、製茶業を営んでいらっしゃる、
株式会社小栗農園の代表取締役社長、小栗清行さんです。

株式会社小栗農園は、自家製のお茶だけではなく、
地域の契約農家が生産したお茶の製茶・販売から、
ティーバッグや粉末などの加工も請け負い、直販も行っているのだそうです。

きょうは、
相良茶商組合組合長で、牧之原市観光協会理事でもあられ、
また、全国茶商工業協同組合連合会から茶匠として認定され、
自ら、大のお茶好きだと自負されている小栗社長から、
お茶にまつわるお話と、手軽な美味いお茶の淹れ方について、お話を伺いました。

小栗農園社長

ところで、
話は変わります。

小栗農園が在る、静岡県牧之原市というのは、
2005年に、それまでの静岡県榛原郡榛原町相良町が合併して誕生しました。

南は、駿河湾に面し、北は、牧之原台地が広がっています。

また、牧之原市のほぼ全域が、
隣接する御前崎市の浜岡原子力発電所から、半径20キロ圏内に含まれます。

市内には、JR東海道線、東海道新幹線、東名高速道路が通り、
富士山静岡空港が在ります。

牧之原市という名称ですが、
これは先に述べた牧之原台地に由来するのだと思われます。

牧之原台地は、むかしから茶の栽培が盛んで、
深蒸し茶の発祥地でもあり、緑茶の前段階である荒茶の生産量では全国第1位です。


ところで、このあとは、
その牧之原台地が、なぜお茶の生産地になったのかというお話であります。

明治維新が起こり、
江戸幕府15代征夷大将軍・徳川慶喜公は、大政奉還し、江戸無血開城し、
やがて慶喜は、駿府(静岡)に移り住みました。

そのときに、
慶喜の警護をして駿府に移り住んだ、精鋭隊という幕臣たちがおりました。

精鋭隊は、恭順派勝海舟が、身が危うい慶喜のために、
幕臣・中條金之助に命じて創らせた護衛隊です。


話は、横道に逸れますが、
わたしの母方の曾祖母の家族も、徳川慶喜公に同行して駿府に移住しました。

曾祖父は、京都見廻組の組士でありましたが、
鳥羽・伏見の戦いを始めとした数々の戊辰戦争を生き抜いた末に、
徳川慶喜が家督を譲った徳川16代当主・徳川家達(いえさと)を警護して、
やはり駿府(静岡)へ移り住んだ元・幕臣でした。

その曾祖母と曾祖父は、
勝海舟の密使・山岡鉄舟西郷隆盛が、
江戸無血開城の下約束をしたとされる、駿府の松崎屋源兵衛宅の主、
松崎屋源兵衛夫妻の媒酌で、結婚したのでした。


話を元に戻して、
徳川慶喜に同行した精鋭隊の隊士たちでありますが、
駿府へ移住したのち、
明治4年の廃藩置県により、その職・俸禄・俸禄米も失い、
禄を食む身から、一介の就職浪人になったのでした。

そこで、
旧・幕臣の山岡鉄舟勝海舟の提案で、
精鋭隊士・中條金之助たちに、牧之原台地の開拓を勧めたのでした。
そして、お茶を作ることで、元・武士たちは自活したのでした。

それが、牧之原のお茶の原点です。

さて、本日参加された皆さま、
この国を大きく揺るがした歴史と、
刀を鍬に持ち替えた元・武士たちが見たであろう夢を
想像しながら飲む一服のお茶の味は、いかがでしたか?

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