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三角寛と説教強盗

2012年10月28日 23:59

気がつけば、月曜日(29日)の未明です。

31日に開催予定の異業種交流会FTN10月例会に使う、
作家・三角寛の資料を調べていたら、こんな時間になっていました。

ペンネーム三角寛(みすみかん)は、本名三浦守(みうらまもる)といいます。
かみさんの母方の祖父です。

三角寛は、1903年明治36年に現在の大分県竹田市で4人姉弟の末子として生まれました。
幼少期に父親と死別し、小学4年を終えると近隣に在った最乗寺に預けられました。
その最乗寺の住職から四書五経を学びます。

19歳のとき、母親や住職の同意を得ぬまま、竹田を離れます。
それから、大正15年、23歳のとき朝日新聞の記者として入社するまでの経緯は、
はっきりしません。

当時、浅草や日本橋が下町と謂われ、そこで成功した商人が、
まだ原生林だった雑司が谷などの池袋界隈に別荘を建てはじめた頃、
雑木林の中に、ぽつりぽつりと家が在る程度だったのだそうですが、
その辺りを中心にした、強盗事件が頻発します。

所謂、サツ廻りの記者だった三浦守、後の三角寛は、その事件を取材します。
手口は、鮮やかで逃げ足の速い犯行でした。
その特徴が、夜中に忍び込んだ民家の家人を縛り上げ、金品を盗ったあとで、
朝まで家に居座りつづけ、その間に家人に対して「用心がわるい」などと云って、
説教をすることでした。

その事件を取材した三浦守が、
説教強盗が現れた」と云ったことから、朝日新聞記者の荒垣英雄が記事を書き、
説教強盗現る!」とタイトルをつけたことから、世間の関心を集める
昭和初期の大事件に発展していったのです。

それは現代で云えば、
三億円事件」や「グリコ森永事件」に匹敵するくらいの大事件でしょう。

その事件の取材に懸けた三浦守の執念は凄まじかったようですが、
或る刑事が云った「逃げ足が速いのは、犯人がサンカだからかもしれない」
という言葉から、「サンカ」について興味を持ったのがキッカケで、
後に、山窩(サンカ)小説と謂われる小説を書き始め三角寛という作家が出来あがるのです。

しかし、
帝都を脅かした説教強盗は、昭和4年2月に逮捕されました。
この説教強盗の犯人は、サンカではなく、妻木松吉という左官職人でした。

三浦守を三角寛という作家にした説教強盗事件でしたが、
三角寛は、戦争中にはサンカが使うという薬草を陸軍に納入して儲けたり、
原野商法に騙されて炭抗を買ったりしましたが、
戦後の昭和23年に、古道具屋が薦めたドイツ製の映写機を購入したことをキッカケに、
池袋の東口、現在のグリーン大通りに面した東京信用金庫本店の在る場所に、
木造の映画館「人世坐」を開設しました。
その大屋根には、当時公に掲揚することは禁じられていた日章旗を堂々と掲げて、
世間の話題になりましたが、不思議なことに進駐軍からのお咎めはなかったのだそうです。


さて、こうしてかみさんの祖父・三角寛のことを書いていると、
いくつもエピソードがあって、切りがありません。

明治・大正・昭和の時代を逞しく生きた、奇人変人の三角寛
ウソも眉つばも多い人だったようですが、我が家のご先祖さまです。

安いウィスキーをチビチビやりやがら、彼の生きた時代を調べていると、
それはそれで、昭和のなぞの迷宮に迷い込んだ気分になりますヨ。

ところで、これは余談ですが、
説教強盗妻木松吉という男は、左官職人だったと先に記しましたが、
実は、その妻木松吉が住みこんでいた左官の親方の家というのが、
雑司が谷の我が家の近所に在る建設会社社長の本家なんです。

その建設会社、
8年前に我が家の建築を請け負ってもらったのですが、これもナニかの縁でしょうか?


■異業種交流会FTN10月例会「祖父・三角寛を語る」講師:三浦庸子 
 10月31日(水)四谷ルノアール・マイスペース。
 詳細は、ここをクリックしてください。




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