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温故知新

2020年02月05日 10:56

祖父・三角寛、父・三浦大四郎、映画館・人世坐、文芸坐。

いま建て替えを計画しているタイミングで、
「雑司が谷 寛」の見学会が行われ、ドキュメンタリ-の放送が予定されている。


さて、
亡くなった祖父母や父母、無くなった映画館をただ偲んでいるワケではない。
また、過去を懐かしんでいるのでも、昔はよかったと言っているワケでもない。

過去は物語である。
その物語を創った人々がいるし、その所縁の人々もいたのである。

人々には意思があったであろうし、様々な想いをもって生きていたはずである。
それぞれの時代の影響を受け、葛藤し享受しながら生きていたのだろう。

その遺物が家屋であり部屋であり建具であり調度類である。
生きた証として書籍があり、映画があり、写真として遺ったものもある。

その人々の息遣いを聴くことや面影を想像することにも人が認める価値はあると思っている。

そんなことは、まったく合理的ではないが、人というものは合理性だけでは生きていない。
育ててくれた人を想い、祖先を偲び、家族や友人たちを慈しみながら生きているのだ。


ところで、わたしたちは経済性や合理性や便利さだけで行動しているワケではない。
また、映画館や劇場や飲食店などを経営していたワケではない。

様々な人々の想いを引き出したり、受け容れたりしながら、お客さまをもてなすのだ。
だから、面倒くさい。ノウハウやマニュアルがあれば出来るというほど簡単ではない。

お客様が、“何”に対して対価を払ってくださるのか深淵を覗かないと判らないのだ。

つまり、坪内逍遥が言うところの、
「たとい其の陽は一意専念過去を想うように見えたるも其の陰は
所謂温故知新の沙汰にて未来の料にとてすることなり」


それを想いながら、商売をしてゆきたいと思う。


そういえば、
昨日は3年前に89歳で亡くなった義父・三浦大四郎、
一昨日は3年前に88歳で亡くなった父・日下敏雄の誕生日だった。



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