FC2ブログ

LED照明

2019年12月12日 16:19

LED

Light Emitting Diode、日本語でいうところの発光ダイオード、平たく言えばLED。

このLEDは、赤崎勇さん、天野浩さん、中村修二さんらによって発明され、
彼らはそれらの功績が認められて、ノーベル賞を受賞しました。

このLEDを用いた照明は、
消費電力が低く抑えられて長持ちするといった特徴があるというので、
我が家でも数年前に照明の電球をほとんどLEDに替えました。

そのLED電球の中で、或る大きさの調光機能を持った電球のほとんどが、
A社製の電球でしたが、10月に二つ続けて電球部分だけが落ちました。
割れはしませんでしたが、孫が寝ている傍に落ちていたので驚きました。

そこで、
購入した量販店に行き、事情を説明して同様の事例がないか調べてもらったところ、
同様の事例には心当たりがないが、A社はLED電球から撤退したので現在生産していない
という応えでした。そして、A社の窓口の電話番号を教えてくれました。

電話するにしても、現在点いている電球に更に不具合があってからと思っていたところ、
先日、三個目の電球が落ちました。

そこでA社窓口に電話すると、現場を見た上で電球を買い取らせてもらいたいとの応え。
日時を指定して、A社の担当者が来宅することになりました。

来宅までに我が家に着いているA社のLED電球を取り外しておこうと電球を緩めたら、
更にまた一つ落ちました。これで我が家に着いていたA社LED電球8個の内4個が落ちました。

来宅した担当者が言うには、或るロットに不具合が見つかっていて、同様の事例がある
ということでした。そこで電球が落ちていてもいなくても1個千円で買い取らせてもらいたい
とのことでしたので、計8個を渡しました。

そしてきょう、量販店に行って同様の調光機能が付いているLDE電球を買おうとすると、
調光機能が付いている電球で1個千円で売っているものはありませんでした。
調光機能が付いていなくても、ほとんどが1個2~3千円の物ばかりです。

結局、1個3.5千円する球を買ってきました。

A社は撤退してしまったLED照明ですが、
熱で電球を取り付けていた糊が溶けて剝がれるという作り方がお粗末だったことと、
補償の仕方もお粗末だったことを、わたしは忘れません。


スポンサーサイト



ダムウェイター

2019年12月11日 23:59

ダムウェイター

1983年4月に、
アメリカ国外初のディズニー・テーマパーク「東京ディズニーランド」が開園しました。
わたしの後輩や先輩たちが各アトラクションのオーディションを受けキャストになりました。
開園時よりは遅れましたが、やはり或るアトラクションのキャストになった友人がいました。

その友人・Tさんは、卒業後或る劇団に入団してアメリカ公演も行いましたが、
劇団が活動を休止し、やがて解散し、アルバイトをしながら演劇活動をつづけていました。

1983年、
わたしはTさんが企画したハロルド・ピンターの「料理昇降機(ダムウェイター)」に出演しました。
出演したといっても、わたしが「ベン」、Tさんが「ガス」、二人だけの芝居です。

どうも“殺し屋”らしい二人が“誰か”の命令を待っています。
その“誰か”が“誰か”判らないまま、“誰か”の注文に対応して料理昇降機と格闘するという、
不条理劇の傑作です。

劇場は下北沢のザ・スズナリで5日間6回の公演でした。
そう!36年前のこの季節でした。


さて、
きょうはその「ガス」・・・、Tさんのお見舞いに行ってきました。
最近、入院して治療を受け始めたと聞いていたからでした。

共通の友人の話や、わたしの近況、闘病の経緯と体調と治療の様子などが話題でしたが、
1時間少々面会したので、疲れさせてしまったかもしれません。

しかし、わたしが帰るときには、
エレベーター(昇降機)の前まで来て見送ってくれました。

「ダムウェイター」から36年。
あの年に生まれた息子が36歳です。
歳をとったら身体にガタがくるのも、無理からぬことです。


それでも、
来年3月に放送予定のNHKBSのドラマに出演したのだそうです。

今年の台風19号が襲来した最中に、長野県の諏訪でロケしたのだとか。
それを観るのが、いまから楽しみです。



63歳

2019年12月10日 23:59

満63歳の誕生日です。

年寄りというほどでもなく、若いとは言えない中途半端な齢でありますし、
わざわざ祝っていただくほどの人物でもありません。

Facebookのお節介で、“お友達”からお祝いメッセージが届くだろうと踏んで、
昨日、「お気遣いなく」というメッセージを載せておいたのですが、
やはり多くの“お友達”がお祝いしてくださいました。

先日、木内みどりさんが急逝され、中村哲医師が銃撃によって憤死されました。
また4日前には、半年の闘病の末に後輩が58歳で亡くなりました。

命は限りがあるものですし、死は平等にやってきます。
問題は、どう生きたか、どう死ぬか、どれだけ生きたかでしょう。

既に感謝をする父母も亡く、祖父母もいません。掌を合わせるだけです。


しかし、かみさんが食事をご馳走してくれました。
それから、孫がきょうで15ヵ月目の月誕生日を迎えました。

孫や孫娘が大人になって語り合えるようになるのを楽しみに、生きていきます。



イワンのばか

2019年12月09日 17:37

我が家の茶の間で、かみさんと話題になった話です。

かみさんが小学生だった頃、
劇団四季がこどものためのミュージカル「イワンのばか」をやったことがるのだそうです。

劇団四季は、
慶應義塾大学文学部仏文科の学生だった浅利慶太さんや日下武史さん等10名が創立した、
ジャン・アヌイジャン・ジロドゥの作品などストレートプレイを上演する劇団でした。

その劇団四季が、
1964年(昭和39年)日生名作劇場「こどものためのミュージカル」をスタートさせます。

第1回公演の作品はアンデルセン童話はだかの王様」で脚本は寺山修司さんが書きました。

第2回公演は、
翌1965年(昭和40年)ギリシャ神話の「王様の耳はロバの耳」で、やはり寺山さんが書きました。

そして第3回公演は、
1966年(昭和41年)トルストイの童話イワンのばか」で、脚本はやはり寺山修司さんが書きました。

つまり、
劇団四季の「こどものためのミュージカル」の最初の3作品は、いずれも寺山修司さんが脚本を書き、
歌の作詞もされているのでした。

かみさんんが話題にしたのは、
その「イワンのばか」のなかで歌われる歌が良かったので覚えてしまったという話でした。

はだかの王様」や「王様の耳はロバの耳」の曲も有名ですし歌詞もおもしろいものですが、
寺山修司という人の才能だったことはあまり知られていません。

ちなみに、俳優・田中明夫さんが後から劇団四季に参加したので、
親友であったむぅむぅ(義父)が劇団四季を応援していたのですが、
浅利さんや田中さんに「イワンのばか」の上演を盛んに薦めたのはむぅむぅだったのだそうです。



照一隅

2019年12月08日 23:59

きょうは、
座・高円寺劇団燐光群公演「憲法くん」を観た。

きょうが千穐楽だったが、どうにか間に合った。


ところで、
アフガニスタンで尽力し貢献しながら銃撃され亡くなった中村哲医師のご遺体が日本に到着した。

アフガニスタンのカブールの空港ではアフガニスタン政府主催で中村医師を見送る式典が開かれ、
ガニ大統領が中村医師の活動に謝意を表明し、奥様とお嬢さんに直接深い哀悼の意を伝えた。

成田空港に総理がご遺体とご遺族を出迎え政府主催の式典を行ってもよいくらいのことだが、
中村医師は現・総理に出迎えられても喜ばないだろう。


さて、「百の診療所よりも一本の用水路」を合言葉に活動をつづけた中村医師が、
日本国憲法第九条の意義を語った佐高信氏との対談がある。

対談で、
中村医師は「国際貢献」という言葉が嫌いだと告白している。
強いて言うなら自分たちがやっているのは「地域協力」だという。
そこには平和憲法を改変しようとしている国家への不信感がある。

テロ対策特別措置法が国会で審議されていた時、参考人として招かれた中村医師は、
「現地の対日感情は非常にいいのに、自衛隊が派遣されると、これまで築いた信頼関係が崩れる」
と強調し「自衛隊派遣は有害無益で飢餓状態の解消こそが最大の課題だ」と訴たところ、
議場を騒然とさせた。

紛争地では、
平和憲法の下でこそ「どんな山奥に行っても、日本人であることは一つの安全保障であった」と言う。
「地域協力」をしている中村医師が、平和憲法こそが大事と強調するのは説得力がある。

中村哲医師のこの言葉は忘れないようにしよう。
「あれだけの犠牲を払った上でつくられたものだから、一つの成果じゃないかと思います。それを守らずして、国を守るもないですよね。だから、それこそ憲法というのは国の掟、法の親玉みたいなもんじゃないですか。憲法をあやふやにして国家をどうのこうのというのはおかしい。それで靖国の英霊がどうのこうのというのは、結局彼らをテロリストにしちゃうんですよね。日本国憲法というのは、本当は戦争の犠牲の上にできたものですよ。それを改憲を言う人はコケにしたんだ。道徳的な心棒もそれでなくなっていく。非常に悪いですよね」


中村哲氏は医師だ。

医師として多くの臨終にも立ち会ってきただろう。
人間の肉体がその命を終える瞬間を何度も看ただろう。
その死の瞬間が自身に迫ったとき、中村医師にはそれが判ったはずだ。
そのとき、彼はなにを想っただろう。

死は平等に誰の身にもやってくる。

これから、12月6日に58歳で急逝した後輩の通夜に行ってくる。



「角筈にて」にて

2019年12月07日 23:59

きょう、
浅田次郎の短編小説「角筈にて」を、
若い友人である佐野圭亮君が朗読するというので聴きに行ってきた。

「角筈」は、「つのはず」と読む。

角筈は、新宿区に在った旧・地名だ。
新宿駅の東口一帯、西口一帯、現在の歌舞伎町辺りだ。

主人公の恭一は8歳のときに角筈で父に生き別れ、
伯父の家で育てられたが、伯父は父親が迎えにくるかもしれないと、
恭一を養子にはしなかった。

伯父の家には、伯母と主人公より少し年上の保夫と年下の久美子がいた。
恭一は大人になって、東大に入学して一流企業に就職して久美子と結婚した。

だが、恭一は上司が会社の派閥抗争に破れ退陣を余儀なくされたのに伴って、
ブラジルへの左遷が決まってしまった。

そのささやかな送別会の夜、恭一は父と別れた角筈の街で父の姿を見かける。


この小説を読んだのは15年ほど前のことだっただろうか。
文庫「鉄道員(ぽっぽや)」の中に収録されていた短編の一つだったと思う。

わたしがこの小説に引き込まれた理由は、
親戚の8歳の子を引き取って、我が子のように育てた伯父夫婦の存在だった。

親戚の子とはいえ、
他人の子を引き取って育てることの大変さと、その子を敢て養子にしない選択。

親子であれ兄妹であれ他人であれ、
此の世で人と人が出逢うことの意味を考えさせてくれる一篇であった。


きょうは、終演後に目白のイタリアンで佐野圭亮君との出逢いを楽しんだ。




神も仏もいないのか!

2019年12月06日 12:00

神も仏もいないのか!

つくづくそう思う。

パキスタンアフガニスタンで医療活動と灌漑事業を行っていた
ペシャワール会中村哲医師が、何者かに銃撃されて亡くなった。

パキスタンやアフガニスタンにとっても、
日本にとっても世界にとっても、計り知れない損失だ。

亡くなってはいけない人だった。
ましてや、間違っても殺されることがあってはならない人だった。

一方で、
2012年、大阪・ミナミの繁華街で通行人の男女2人を無差別に刺殺したとして、
殺人などの罪に問われた被告(44)の上告審判決が12月2日に最高裁であった。

裁判長は、覚醒剤中毒の後遺症による幻聴が犯行の一因だとして、
裁判員裁判の死刑判決を破棄し、無期懲役とした2審判決が確定した。

また、
2015年、埼玉県熊谷で小学生2人を含む6人を殺害した強盗殺人の罪に問われた
被告(34)の控訴審判決公判が、昨日12月5日に東京高裁であった。

裁判長は、さいたま地裁の第1審裁判員裁判の死刑判決を破棄し、無期懲役を言い渡した。


モチロン、中村医師の殺害事件と減刑された無期懲役判決とは無関係だ。
命に優先順位はないのかもしれない。

だが、
SNS上でも中村医師の殺害事件に関して「許せない!」という意見を多く目にする。
吉永小百合さんですら「許せない」と発表されたようだ。

また、
裁判員裁判で死刑判決が出ているのに、上級審で無期懲役にひっくり返される。
これでは、裁判員裁判の意味はどう考えたらよいのか?

人が人の命を奪うことの非は“死刑”についても言えるという意見があるが、
わたしは1人でも人を殺したら死刑に値すると思っている死刑賛成論者だ。

だが・・・、
もしかしたら、中村医師は「私を殺した人たちを恨まないでやってくれ」
そうおっしゃるかもしれない。

合掌

蜘蛛の糸

2019年12月05日 11:58

ある日お釈迦様は極楽の蓮池の淵を独りでぶらぶら歩いていらっしゃいました。
やがてお釈迦様は、その淵から蓮池の下を覗くと地獄の様子が見えました。
すると地獄の底に「かんだた」と云う男がほかの罪人と一しょにうごめいていました。
「かんだた」は、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥坊でした。
それでもたった一つ、林の中で小さな蜘蛛を踏み殺さず見逃してやったことがありました。

そこで、
お釈迦様は「かんだた」を地獄から救い出してやろうとお考えになりました。
側を見ると蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛が一匹美しい銀色の糸をかけて居ります。
お釈迦様はその蜘蛛の糸を地獄の底へまっすぐにおろしてゆきました。

地獄の血の池では、「かんだた」が他の罪人たちといっしょにもがいていましたが、
暗い闇のなかを天上から銀色の蜘蛛の糸が一本垂れてきました。
「かんだた」は、早速その蜘蛛の糸を両手でしっかりと掴みました。
掴みながら、一生懸命に上へ上へと糸をたぐってのぼり始めました。

「かんだた」が、途中で疲れたので糸に掴まって一休みしながら下を見ると、
罪人たちが蜘蛛の糸をのぼってくるのが見えました。
「かんだた」は大きな声を出して「この蜘蛛の糸はオレのものだ下りろ下りろ」とわめきました。
その途端、「かんだた」の手元で蜘蛛の糸が急にプツリと音を立てて切れてしまいました。
そして、「かんだた」は他の罪人たちとともに地獄の池に堕ちてゆきました。

お釈迦様は極楽の蓮池の淵からこの一部始終しじゅうをごらんになっていましたが、
悲しそうなお顔をしながら、またぶらぶら歩きはじめたのでした。

しかし極楽の蓮池の蓮は相変わらずよい香りを漂わせています。
極楽はお昼時になっていました。


芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」は、こんなお話でした。

この小説は、
1918年に童話雑誌「赤い鳥」に発表された芥川龍之介の処女児童文学作品だそうですが、
1918年(大正7年)といえば、先日亡くなった中曽根康弘氏や田中角栄氏が生まれた年です。

「蜘蛛の糸」は、児童文学ではありますが、いろいろな示唆に富んだ作品です。

蜘蛛の糸は何故切れたのでしょうか?

わたしは、
意識していなかったとは思いますが「かんだた」自身が切ってしまったのだと思います。




遺すこととつなぐこと

2019年12月04日 16:07

史料

きょうは、豊島区の或る部署の方たちが三人、我が家を訪れてくださった。

わたしのかみさんの母方の祖父で作家であった三角寛と、
一昨年亡くなった父で映画館文芸坐の元・経営者だった三浦大四郎
そして、映画館人世坐文芸坐についてお話を聴いていただいた。

過去は過去でも、その過去をどうやって遺すことができるか、
その過去をどうやって現在と未来につなげることができるか、
そんなことを相談に来られたのだ。


説教強盗に始まって、サンカサンカ小説妻木松吉、映画館人世坐が建つまで、
弁天様、映画館の大屋根に日の丸を揚げた話、父と母の馴れ初め、労働争議、
文芸坐が名画座と呼ばれるまで、文芸坐の数々の特集やフェスティバル、
中国映画祭東京国際演劇祭池袋演劇祭新文芸坐のこと、豊島区との関係、
父の晩年・・・etc.

ひとつ一つの話にボリュームがあるから、4時間半の打ち合わせになってしまった。



ことしも「みかんの日」

2019年12月03日 17:50

katayama106.jpg

誰が言ったか知らないが、12月3日は「みかんの日」


ところで、
ことしは、11月中旬に青天の霹靂の如く降った雹で、浜松の実家のみかんに被害が出ました。

みかん園を分散させていたおかげで被害は偏ったようですが、
住宅の敷地の周りの約1.5ヘクタールの園のみかんは、ほぼ全滅だと弟が言っています。

直径1~2センチ大の雹が空から降ってきて、みかんの実に当たれば商品価値はありません。
多分、ジュースや缶詰などの加工品に出来る品質をも下回ります。

それでも、樹のためには実を採ってやらなければなりませんから、
“収穫”ではありませんが実を摘み採る作業が必要になるでしょう。

金額にして300~400万円程度の減収になるだろうということでした。

みかん作りなんて、
樹を植えときゃあ自然に実がなるんだろ、という意味での自然相手、
そう思っていらっしゃる方もいるかもしれませんが、農業は自然相手、
そして人間相手でもあります。

農業は、
産業・商売としては、非常にリスクも苦労も多く、収入の不安定な業種です。
それでも、農家がつづいているのは何故でしょう?何故だと思われますか?

産業として、商売としてだけ捉えるとお分かりにならないかもしれませんね。

地球温暖化、異常気象の危険が叫ばれている昨今、農業の環境が変わりつつあります。

農業だけではありません。
漁業でも魚が獲れなくなったり、これまで獲れなかった魚が獲れるようになったりしています。

自然相手というのは、そういうことです。

しかし、
農耕民族と謂われる日本人のDNAの中には、
それに打ち勝つメンタリティーが存在していると思っています。

大腸ポリープ

2019年12月02日 13:03

お茶の水

大腸内視鏡検査で、
2013年9月に大腸ポリープが見つかりまして、
2015年2月にもポリープが見つかりました。

そこで、
2016年3月にも大腸検査を受けたのですが、
幸いポリープは見つかりませんでした。

あれから3年9か月、
きょうまた大腸内視鏡検査を受けてきました。

3日前から就寝前に下剤を服用し、
昨夜は、夜8時までに食事を終えました。

食事の内容も、
野菜や海藻類や果物など食物繊維質の物を避け、
刺激のある香辛料やアルコールも摂らないよう、
との指示でした。

そして、寝る前に下剤を飲みました。

今朝は、朝6時に起床しまして、
2リットルの経口腸管洗浄液を作り、
1杯目で2種類の錠剤を服用し約1時間で、
腸管洗浄液を飲み終えました。

そのあとは、トイレの往復を繰り返しまして、
朝9時に自宅を出発して、予約した10時前には
病院に到着していました。

問診のあと、腸の動きを止める薬を注射しまして、
いよいよ、内視鏡検査でした。

採取した生体検査を待たないと結果は判りませんが、
少なくとも大腸ポリープは見つかりました。

切除手術したポリープの様子から、
きょう1日は、繊維質の食事と飲酒や運動や長い移動は禁じるとのことです。

2013年、2015年の大腸ポリープを切除したときには10日間でしたから、
今回は小さかったということでしょう。

ポリープは何年かかけて大きくなったりガン化するのだそうですから、
次回の検査は2年後でも構わないと思いますが、ポリープを育てる体質なのでしょう。

貴方も、大腸ポリープをお腹の中で育てていませんか?

生き別れ

2019年12月01日 18:01

わたしも、この12月で63歳になる。

半世紀以上生きていれば、
祖父母たちや両親が亡くなっているのは“自然”なことだ。

だから、
わたしもかみさんもそういった多くの係累を見送った。

そして、
いま現在、病と闘う友人知人も多い。

先日、一周忌を迎えた高校時代の親友がいる。

なかには、
いまにも訃報を受け取ってしまうかもしれない状態にある友人も数人いる。

人間は生身の肉体を持っているのだから、これは仕方がないことだ。
但し、順番だけは守ってほしい。


ところが、
不本意ながら、生きている間に別れなければならない人間もいる。

どんなに抗っても、どんなに説得しても、別れざるを得ない人間。
それは哀しいことだが、それも人間である以上仕方がないのだろう。

彼が、
いつか自立して世間に顔向けできるようになったという噂を聞く日があればいいと思うが、
それでも、多分わたしはもう会わないだろう。





最新記事