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ながら運転

2019年11月30日 11:42

ながら運転厳罰化

いよいよ師走だが、
明日12月1日から、携帯電話などを操作しながら運転する「ながら運転」が厳罰化される。

車を運転中に携帯電話を手に持って通話や操作をしたり、
画面を見続けた場合の違反点数は1点から3点になるし、
反則金も普通車の場合で1万8,000円と3倍に引き上げられる。

また、
「ながら運転」で事故を起こした場合、違反点数6で免許停止処分。
更に、懲役や罰金の刑罰が科されることもある。


今更「ながら運転」の危険性は指摘するまでもない。

わたしの場合、集中力が劣ってきたと実感する昨今、
助手席から話しかけられるのも怖いと思うときがある。
いわんや「ながら運転」をや。

「ながら運転」は車に限らない。
「歩き」も「自転車」も「バイク」も「飛行機の操縦」もすべての「ながら」は止めてほしい。

メーカーも、エンジンがかかっていると電波を遮断する車だとか、
歩く振動を検知すると画面がフリーズするような製品を作れないものか。


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大勲位逝く

2019年11月29日 14:50

中曽根康弘元総理

我が家の近所にお弁当屋が在る。
その裏手に、息子の友人の家が在るが、その家のお祖父さんが亡くなった。

世間から「大勲位」と呼ばれた元・総理大臣・中曽根康弘氏だ。


群馬県出身で東京帝国大学法学部政治学科卒業後内務省に入省。
戦時中は海軍主計士官(少佐)に転じ、終戦後には内務省に再び勤め、
退官後、29歳の年に衆議院議員に当選。
1982年(昭和57年)、 第71代内閣総理大臣に就任。1987年まで務めた。

日本の原子力発電政策において、
正力松太郎と共に日本政界における原子力政策推進の両軸と謂われている。
一方、国鉄、電電公社、専売公社の民営化を行った。
また、「自主憲法制定」をライフワークとした。

「政治家は、歴史の法廷の被告人席に座る」

大勲位は、そう言ったことがあるが101歳。
歴史の長い法廷が必要だろう。

そんな大勲位から現政権はどう見えるだろうか?

こちらは、
この世の法廷の被告人席に座ることになるかもしれない。

「たぬき」

2019年11月28日 17:18

歌舞伎座公演12月

11月25日、
新橋演舞場のスーパー歌舞伎Ⅱ「新版 オグリ」が
無事、千穐楽を迎えることができました。

ご覧いただきましたお客様、ありがとうございました。

来年は、博多座と京都・南座公演もありますので、
お近くの皆さまにご覧いただければ幸いです。


さて、
弘太郎は、歌舞伎座「十二月大歌舞伎」昼の部、
大佛次郎 作 石川耕士 演出 市川中車 主演
「たぬき」に出演いたします。

宜しくお願い致します。


みどりさん

2019年11月27日 11:33

木内みどりさん

かみさんが中学生のころだったらしい。

劇団四季の創立メンバーではないが、
創立メンバーたちより少し年長の俳優・田中明夫さんが、
1955年から劇団四季に合流して活躍していた。

親友の田中明夫さんのために、
むぅむぅ(義父)は後援会を組織したりチケットを売ったりしていた。

多分、観客と俳優たちとの親睦を兼ねたバス旅行で、
かみさんの隣の席に座ったのが木内みどりさんだったらしい。

以来かみさんは、
みどりさんに「庸子ちゃん、つねこちゃん」と親しく呼んでもらい、
妹のように可愛がっていただいた。

ご相伴して、
わたしも一緒に食事したり、飲んだり、お宅に遊びに伺ったりした。
勿論、お芝居も拝見した。

日常的にお逢いしていたわけではないが、
たまに遇う親戚のお姉さんのような存在だった。


だから、
かみさんにとっては殊の外ショックが大きかったようだ。

かみさんは、
最新刊の雑誌に載っていた写真を見つけ切り抜いて仏壇に飾った。

かみさんがそこまでするのは、珍しい。

これで、毎朝掌を合わせる対象が一人増えたというワケだ。


誓い

2019年11月26日 14:45

主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
憎しみがあるところに愛を、
いさかいがあるところにゆるしを、
疑いのあるところに信仰を、
絶望があるところに希望を、
闇に光を、
悲しみあるところに喜びをもたらすものとしてください。

記憶にとどめるこの場所、
それはわたしたちをハッとさせ、無関心でいることを許さないだけでなく、
神にもっと信頼を寄せるよう促してくれます。
また、わたしたちが真の平和の道具となって働くよう勧めてくれています。
過去と同じ過ちを犯さないためにも勧めているのです。

皆さんとご家族、そして、全国民が、
繁栄と社会の和の恵みを享受できますようお祈りいたします。
(ローマ教皇庁が発表した長崎での教皇の演説の一部)



ローマ教皇フランシスコがバチカンに帰って行った。

長崎と広島で発せられたローマ教皇フランシスコの演説は、
踏み込んでいたし、具体的だったし、なによりも力強かった。

だが、
「神も仏もいないのか!」と叫びたかったであろう人々が死んでいった土地で、
“神への信頼を促してくれる”とおっしゃられても、素直に同意できないし、
報道も含めて、教皇を迎える側が殊更感動的に扱うことに違和感を覚えた。

教皇の訪日は確かに歴史的なことだし、影響にも大いに期待したい。
なにより、教皇に対する悪意などあるはずもない。

しかし、
むかし、カタカナで表されるヒロシマ・ナガサキの被ばく者の手記を基に、
朗読劇「この子たちの夏」を創った演出家が、わたしに言ったことがある。

「日本全国で何年もの間上演してきたけれど、核兵器は一発も減らなかったんだよね」
わたしは、その作品の元・制作者として、この言葉の意味を噛みしめている。


昨日の夜、教皇を迎えて総理が会談した。

総理は、
「日本とバチカンは平和、『核なき世界の実現』、貧困の撲滅、
そして、人権や環境などを重視するパートナーだ。
今回の訪日を契機としてバチカンとの協力をさらに拡大していきたい」と述べ、

教皇は、今後、両国の協力を一層強化していきたいという意向を示した。

また、総理は、
「日本は唯一の戦争被爆国として国際社会の取り組みを主導していく使命を有している。
非核三原則を堅持して被爆の実相への理解を促進し、核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、
『核兵器のない世界』の実現に向け粘り強く尽力していく」と述べたのだそうだ。

どの口が言うのかと思うが、
今回のことが、具体的に核兵器を減らすことに繋がってほしいと切に思う。
そして、それはわたし自身になにができるかも含めて誓わなくてはならない。

あたらめて、
「焼き場に立つ少年」という写真を見てみよう。

彼らの前で、なにが誓えるか。

焼き場に立つ少年

思し召し

2019年11月25日 13:06

ローマ教皇フランシスコの車列

さっき、
近所に買い物に出たら不忍通りと目白通りを教皇の車列が通ることが判った。

目白通り沿いの、
椿山荘の前に在る「東京カテドラル聖マリア大聖堂」に礼拝に向かうのだと思った。

間もなく首都高速出口の在る護国寺方向から車列が向かって来た。
東京カテドラルに向かうには目白通りに突き当たったら左折するのだ。

不忍通りから目白通りに左折する車列は速度を落とし、
左折専用レーンのところに立っていたわたしの目の前2メートルの距離でお顔を拝した。

長崎を訪問された教皇と「焼き場に立つ少年」の写真をめぐって、
無礼なブログを書いたわたしだが、これは“誰か”の思し召しだろうか?

ローマ教皇


3年前のきょうからの7か月

2019年11月24日 12:03

3年前のきょう、
真冬並みの寒気と低気圧の影響で、東京には朝から雪が降りました。

11月に東京で降雪を観測したのは1962年以来54年ぶりでしたが、
午前11時には積雪も確認され、観測史上初めてのことだったそうです。

それにしても、
前日の11月23日には日韓秘密軍事情報保護協定が締結されていました。
いま話題の日本と韓国が秘密軍事情報を提供し合うGSOMIA締結のことです。

ですが、
テレビ各局は早朝からずっと東京の雪についてばかり報道していました。


その日、
前日の昼にわたしが作った「すき焼き」を食べてショートステイに向かったむぅむぅ(義父)が、
午前中から熱を出し、夕方には38.5℃に上昇したと施設から連絡をもらいました。

むぅむぅは、11月23日から25日まで2泊3日でショートステイすることになっていました。
しかし、高熱を出した場合には引き取ることになっていました。

むぅむぅを迎えに行って、その足で最寄りの開業医の病院で診ていただこうと向かうと、
病院は休診日でしたので連れて帰ろうかと思ったのですが、都立病院の救急外来に
電話して受け容れていただくことにしました。

“救急”といっても、ほんとうに長い時間待たされました。
病院の車イスに乘って診察を待つ間、むぅむぅは意識を朦朧とさせておりました。

診察につづき、血液・エコー・CTと検査をつづけた結果、即入院となりました。

引きつづき検査を重ねて高熱の原因を特定したいということもありましたが、
全体症状が重篤だということでした。

むぅむぅは要介護状態でありましたから、不思議はないのかもしれませんが、
家族としては“青天の霹靂”でした。


その日から2ヵ月入院したものの、担当医師や病院に度々不信感を覚えて、
病院の反対を押し切って、翌年1月24日にわたしたちはむぅむぅを退院させ、
我が家に連れて帰ってきました。

それから約5ヵ月間、むぅむぅは自宅の自分の部屋で過ごして旅立ちました。

あの7ヵ月間は、次々に様々なことが起こり判断に判断を迫られた日々でした。
でも、3年経ってみると後悔はありませんし、懐かしい時間です。




焼き場に立つ少年

2019年11月23日 12:31

焼き場に立つ少年

裸足の少年が小さな子を負ぶって指先に力を入れて直立している写真。

なんの説明が無くても、はかり知れない悲しみが伝わってくる。

だが、多少の説明をすれば、
昭和20年、終戦直後の長崎で従軍カメラマン・ジョー・オダネルが撮った、
「焼き場に立つ少年」というタイトルの写真だ。

この少年のことは、それ以上判っていない。
実は負われていた赤ん坊が男の子か女の子か判然としていない。
赤ん坊は“少年の弟”だということになっているが確かではない。

撮影者ジョー・オダネルは、軍から被爆者を撮ってはならない、
日本人と接触してはならないと命令されていたからだ。

判っているのは、赤ん坊は亡くなっていたこと。
少年が直立不動で立って見つめていたのは焼き場の炎だったということだ。

その後、赤ん坊は焼き場で焼かれた。
赤ん坊が焼かれている間も、少年は唇をかみしめて立っていたそうだが、
焼かれた子の骨を拾うこともなく立ち去ったのだそうだ。

ジョー・オダネル「焼き場に立つ少年」については、
NHKスペシャル「解かされた封印 ~米軍カメラマンが見たNAGASAKI」に詳しい。

ついでにもう一つ判っていることがある。
「焼き場に立つ少年」の写真は裏焼きされたものだということだ。
当時、少年たちの名札は服の左胸に付けられていたことから判った。


さて、
「ローマ法王」なのか「ローマ教皇」なのかどちらでもよいことだが、
ローマ・カトリック教会のトップ、ローマ教皇フランシスコが来日する。

「焼き場に立つ少年」を、
教皇は「戦争が生み出したもの」として世界中に配布することを指示した。

長崎への原爆投下でキリスト教信者約1万人が亡くなったと言われている。
アメリカ合衆国におけるキリスト教信者の数は国民の約80%なのだそうだ。

世界中に影響力を持っていると謂われるローマ教皇だから、
世界中の人々や政治指導者に向け「平和」と「核兵器廃絶」を説いてほしい。

がしかし、
わたしは問うてみたい。

「貴方は、この焼き場に立つ少年の写真を見ても、神を信じるのか?」


まだ合掌できない

2019年11月22日 10:42

木内みどりさん


一日経ったが、まだ動揺が収まらない。


昨日、突然にもたらされた訃報。
女優の木内みどりさんの訃報

まだ愕然としている。


友人の懲役1年執行猶予3年の判決が出て以来、
代理仕事でバタバタとしている中飛び込んできた訃報。

なにがあったとしても、
生きてるうちが花なのよ、死んだらそれまでよ・・・


みどりさんは、
劇団四季時代からの、うちのかみさんの友人。

庸子ちゃん・ツネコちゃんと可愛がってくださった。

モチロン、お芝居も観に行った。
ご主人共々飲んだこともある。
深夜のお宅に遊びに行ったこともある。
ご相談を受けたこともあった。

いつもお元気で活発でお話し好きだった。
所謂、姐御肌の方だった。


さびしいなぁ・・・。

まだ、合掌する気持ちにはなれない。





「冀望の街」

2019年11月21日 23:59

「冀望の街」

まいこが、
久しぶりに舞台に登場するというので、観に行った。

グループK第12回公演「冀望の街」 於:中野あくとれ

台東区と荒川区にまたがる日雇い労働者の街「山谷」は、
僅かな冀望(希望)を求めて生きてきた人々の心の寄せ場。


この芝居が、いまのわたしには重い。
身につまされる・・・。


最長政権

2019年11月20日 17:28


きょうで現総理の在任期間が、
第一次政権時から通算2、887日に達したので、憲政史上最長なんだと。

「長期政権だから、その弊害として驕りや緩みが出てきた」と云うんだが、
第一次政権時から、現在の第二次政権・第四次内閣の現在に至るまで、
驕りっぱなしで緩みっぱなしじゃないか?

全国民が支持すると言ったって、オレは支持しないゾ!
2,887日で終わってほしい。


判決

2019年11月19日 23:59

判決


東京地裁立川支部第〇号法廷。

「主文 〇〇を懲役1年とする。また、これが確定した日から3年間その執行を猶予する」

前途多難!



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